【鉄砲伝来の重大な意義!の授業-戦国時代ネタ】
1543年、中国船が種子島に漂着。
その中に、ポルトガル人がいました。
種子島の領主、種子島時尭は、
ポルトガル人から鉄砲を二丁買い、
一つは保存用、もう一つは解体し、
鉄砲の構造を調べる為に使いました。
こうして、日本でも鉄砲の製造が
行われるようになります。
ってことで、今回は鉄砲伝来のお話です。
〇日本中に鉄砲の製造が広まった
種子島に新たな兵器、鉄砲が伝わった
ことが日本中に知れ渡り、
鉄砲の製造方法を知る為、人々が
日本全国から種子島に集まってきます。
この時、種子島時尭はどうしたか。
種子島時尭は、なんとっ!
全員に鉄砲の製造方法を教えました。
鉄砲の意義として、
・戦い方や城の備えが変化した
・天下統一が早まった
というのが挙げられますが、
実際は、もっと大事なことがあります。
世界的な視野で考えてみて下さい。
さて、一体、どんなことでしょうか?
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(考え中)
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この時代、スペインとポルトガルによる
植民地政策が繰り広げられます。
彼らは鉄砲を持ち、世界を侵略しました。
南米の侵略などが有名ではありますね。
日本も支配下に置こうとしていたのです。
しかし、日本に鉄砲が広まることで、
武力による支配は困難に。
答えは、
『植民地にならずに済んだ』です。
なんてったって、
当時、世界で最も多くの鉄砲を持っていたのは、
織田信長ですからね。
(ここをクイズにしても良いですね。)
では、武力以外で日本を支配をする為、
スペインとポルトガルはどうしたか?
なんとっ!宣教師を送り込んできました。
日本中にキリスト教が広まることは、
日本が、スペインとポルトガルの傘下に
置かれることを意味します。
キリスト教宣教師の中には、こういった
危ない輩も多く存在していました。
〇宣教師=危ない輩
彼らは、世の中にカトリックが広まれば、
ローマ法王を中心とした平和な世界に
なることを信じていました。
言い換えれば、その為には武力による
支配も必要という考えを持つということ。
彼らは、将来、日本を征服する為、
日本のことをすみずみまで調べ上げます。
宣教師のルイス・フロイス『日本史』に、
彼の視点から見た日本が書かれています。
・ヨーロッパ人は、手でそのままご飯を
食べるが、日本人は清潔で、箸でご飯を
食べる。
・ヨーロッパ人は靴のまま家に上がるが、
日本人は靴を脱いで家に上がる。
・ヨーロッパ人は鼻くそをほじくる時
小指を使うが、日本人は鼻の穴が大きい
ので人差し指を使うwww
(日本人ってそんなに大きいですかね?)
とまあ、宣教師がスパイ役も担っていた
のですね。
ちょっと関連した記事を、
に載せていますので、
よろしければご覧下さい。
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こういった視点で考えると、後の鎖国も
見方が変わってきますね。
ちなみに、ヨーロッパでフォークが
使われるようになるのは、
ほんの少し後のことです。
最後に、
1543年 鉄砲伝来
♪1543(い~ご予算)で鉄砲二丁
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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