【信長の家来だった黒人、その名は弥助】

戦国~安土桃山




 

【信長の家来だった黒人、その名は弥助】

 

 

この時代の黒人達の扱いが、

如何に酷いものだったかご存知ですか?

 

地理でも歴史でも、奴隷について触れる

機会があると思います。

 

で、安土桃山時代は、ヨーロッパ各国が

アフリカの植民地化を進め、奴隷貿易を

活発に行い始めた時代と合致します。

 

当然、黒人は日本にも来ています。

 

今回は、一人の黒人奴隷のお話です。

 

 

〇出会ったのは織田信長

 

宣教師が信長の下へやって来た時、

黒人奴隷も連れて来られていました。

 

信長はビックリ!

 

今まで、肌が黒い人間なんて

見たことがありません。

 

疑い深い信長は、たわしで黒人の肌を

擦らせました。

 

しかし、当然ですが、黒人は痛がるだけ。

 

本当に肌が黒いんだと理解した信長は、

彼を大層気に入ります。

 

それを見た宣教師は、信長に彼を

引き渡しました。

 

彼は、信長から「弥助(やすけ)」という

名を授けられます。

 

 

〇素晴らしき日本

 

珍しいものが大好きな信長。

 

信長は、黒人の彼を家畜のように扱った

かというと、そうではありません。

 

きちんとした身なりをさせ、部屋を与え、

いつも自分に付き従わせました。

 

まあ、ここには、珍しいものを自慢する

心があったとは思いますが…。

 

しかし、

弥助からしてみたらどうでしょうか。

 

当時、黒人は、馬より安い値段で売られ、

心の無い商品のように扱われていました。

 

命を尊ぶはずのキリスト教の神父さえ、

黒人は動物だからその必要は無いと

考えていたくらいです。

 

初めて人間として扱われた。

 

弥助は、信長に感謝していました。

 

 

〇彼のその後

 

しかし、本能寺の変により、

主だった信長が死んでしまいました。

 

この時の記録には、黒人が丸太を持って

大奮戦していたことが記されています。

 

明智光秀は、

「彼は、遠くの国から連れて来られた

かわいそうな奴だから、捕えたら

殺さず逃がしてやれ。」と、

事前に部下に伝えていました。

 

弥助の消息は、

残念ながらここで途絶えてしまいます。

 

いかがでしょうか。

 

白人による黒人の差別は根強く、

現在も残っています。

 

しかし、そんなこと全く関係無く、

一人の人間として扱った織田信長。

 

まあ、白人と我々日本人とでは、

そもそも人種が違うので当り前なのかも

知れませんが、

 

日本人は、黒人を家畜と同様などと

考えませんでした。

 

こういう話を聞くと、やっぱり日本は

素晴らしいと思いませんか?

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。

 

 

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