【偉大な楠木正成の精神-室町時代ネタ】

平安~室町




 

【偉大な楠木正成の精神-室町時代ネタ】

 

 

突然ですが、ここでクイズです。

 

元寇後、鎌倉幕府に失望した者達から、

幕府に従わない集団が誕生していきます。

彼らは「悪党」と呼ばれました。

 

しかし、当時の「悪」は、現代とは

少し意味が違うようです。

 

一体どのような意味だったのでしょう?

次の三つから選んで下さい。

 

①強い

②カッコいい

③賢い

(考え中)

はい、いかがでしょうか。

 

漢字の意味合いなども、時代によって

変化するものなんですね。

 

正解はぁ~

 

ジャジャン♪

『①強い』でした!!🎯

 

要は、幕府や古い体制に従わない者達を、

ある意味称賛も含め、「強い=悪」で

悪党と呼んでいたようです。

 

 

〇楠木正成とは

 

そこで、その悪党として出てくる筆頭が、

楠木正成ですね。

 

彼は、知略に非常に長けていて、

後醍醐天皇が絶大な信頼を置く武将です。

 

彼は、反旗を翻した足利軍と戦い、

最期を迎えることになりますが、

 

その首は、敵の尊氏の命によって

遺族に届けられました。

 

敵であるはずの足利尊氏までが、

死ぬことが分かっていてまで

天皇に忠義を尽くし戦った、

正成の生き方に敬意を払ったのです。

 

 

〇湊川の戦い

 

朝廷と足利軍との戦いは、

初めは朝廷有利で進んでいました。

 

しかし、九州で勢力を回復した足利軍は、

瞬く間に京都へと攻め上って来ます。

 

この時、正成には秘策がありました。

 

散り散りになっている兵力を総結集し、

京都で戦うことを天皇に進言します。

 

しかし、京都から離れたくない貴族達が

この案を拒否。

 

そこには、自分達が京都から離れずとも、

天が戦いに味方してくれるだろうという

完全な驕りがありました。

 

反論しても仕方ないと悟った正成は、

湊川(兵庫県)で足利軍を迎え撃つ為、

挙兵することになります。

 

正成は、道中、息子の正行(まさつら)に

屈強な兵士を譲り、別れます。

(有名な「桜井の別れ」ですね。)

 

「国の為、死ぬと分かっていて死ぬ。」

正成は、既に死を覚悟していました。

 

奮戦むなしく、彼は最期、

弟の正季(まさすえ)と刺し違えて

自害します。

 

いかがでしょうか。

 

忠義心を貫いた楠木正成の生き方は、

現代でも多くの共感を呼んでいます。

 

また、正成は死ぬ間際、正季に問います。

 

正成:弟よ。次生まれ変わった時は、

農民にでもなって、ゆっくり暮らそうか。

 

正季:何言ってんだ、兄貴っ!

七生報国(しちしょうほうこく)だ!!

 

正季の答えが自分と同じであるのを喜び、

二人は刺し違え、自決しました。

 

何度生まれ変わっても、国の為尽力する。

これが、偉大な楠木正成の精神です。

 

この言葉が、神風特別攻撃隊の鉢巻に

使われたことも有名ですね。

 

楠木正成を知ると、「悪党」が

現在の悪とは違うことが見えてきます。

鎌倉幕府などからすれば、都合の悪い

存在だったのでしょうけど…。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。