【倭寇の脅威と足利氏の腐敗について-室町時代ネタ】
どうも、野本です。
近頃、テンションが上がってきている方、
多いのではないでしょうか。
何故なら、お盆休みですね(*´▽`*)
近付いてきてますよ。今年も。
それまで、もう一息の方が多いはず。
働いている皆さん、頑張りましょぉー!
〇倭寇って、どんな海賊?
ってことで、まずは、
東アジアの海を荒らしまわった海賊、
倭寇のお話です。
取り合えず、海賊だからって、
☠マーク掲げている訳ではありません。
そもそも、☠マークなんか掲げていたら、
一瞬で海賊って分かってしまいます。
と言うことは、倭寇も普段、
一般の人のように商業や漁業を行い、
海賊かどうかなんて分からない
普通の生活を営んでいるんです。
しかし、必要となった場合に
普通の貿易船を装い、略奪行為を行う。
そんな集団が倭寇です。
一般人の中に、実はとんでもない極悪人
が紛れ込んでいる。
そんな感じなんですね。
だからこそ、当時の為政者は倭寇を恐れ、
手を焼いていたのです。
そして、倭寇と正式な貿易船を区別し、
更に民間貿易を統制する目的もあって、
勘合を使った貿易が始まります。
「倭寇と正式な貿易船を区別するため。」
記述で頻出ですね。
〇足利氏の腐敗
足利一族による、室町幕府。
はっきり言って、3代義満が全盛期です。
4代義持(よしもち)と5代義量(よしかず)
の死因を知っていますか?
『お酒の飲み過ぎ』です。
当時、有力守護の力が強くなり過ぎて、
将軍の言うことを聞かなくなりました。
5代将軍義量は、やさぐれて大酒飲みに。
これが原因で早死にしました。
4代だった義持が一時的に政治を
執りますが、
やはり、言うことを聞きません。
そうなると、義持も酒にはしります。
そして、義持までもが酒の飲みすぎで
亡くなりました。
少しの将軍不在期間を経て、
6代将軍義教(よしのり)。
彼は、なんとっ!
クジ引きで将軍になりました。
それで付いたあだ名は「クジ引き将軍」。
当然バカにされました。
しかし、義教は、
「クジ引きに当たったということは、
神に選ばれたのだ。」と、
気に入らない守護を滅ぼし、
「万人恐怖」の政治を行いました。
その結果、
赤松満祐(みつすけ)という男に
謀殺され、犬死にしました。
8代将軍義政は、銀閣で有名です。
しかし、この人。
政治には無関心で、自分の趣味に
ばかり力を注いでいました。
日本文化には貢献しているのかも
知れませんが、
応仁の乱を引き起こしてしまいます。
儚くも なほ収まれと 思ふかな
かく乱れたる 世をば厭(いと)わで
[戦乱の世は儚さを思わせるが、それでも収まることを信じている。
こんなにも世が乱れていようとも、
厭わしくなんて思わない。]
いや、原因お前だろwww
とまあ、それ以降、
下剋上の風潮が広まっていくことに
なっていきます。
最後に、
1467年 応仁の乱
♪平和への(意志も空)しく応仁の乱
※その他語呂合わせは、
以下の記事をご覧下さい<(_ _)>
↓↓↓↓↓
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
最近のコメント