【米騒動を警察が抑えられなかった理由】
ロシア革命 → シベリア出兵 → 米騒動。
そんでもって、原敬内閣の誕生。
この繋がりはポイントですよね。
「シベリア出兵を見こした商人が、
米を買い占めたから。」
これが、米騒動が起きた理由。
記述問題も良く問われますね。
米騒動の始まりは、「越中女一揆」。
富山県の漁村の主婦達によるデモが、
事の発端となっています。
この運動は瞬く間に全国に広がります。
民衆が米屋を襲うなどの大事態にまで
発展しました )゚0゚( ヒィィ
![](https://ya-hon.com/wp-content/uploads/2019/01/焼き払われた鈴木商店-300x223.jpg)
という訳で、
今回は米騒動にまつわるお話です。
よろしければお付き合い下さい<(_ _)>
〇何故、警察では歯が立たなかったのか?
今回のタイトルの結論。
まあ、簡単に言ってしまえば、
米騒動の参加者は総勢数百万人とも
言われていますから、
警察力では到底歯が立つ訳がありません。
しかし、もっと普通に考えてみると、
地域の警察官が地域住民を抑えつける。
これって、かなり困難ですよね。
極論言うと、
人人人人人人人人人人人人人人人人人人
エイやッ!!(# ゚Д゚)
YYYYYYYYYYYYYYYYYY
とか言って、女性を殴れないですよね。
そもそも、顔見知りかも知れませんし…。
軍隊を動員せざるを得ないのは、
仕方が無かったことなのかも知れません。
(因みに、動員数は10万以上です。)
それ位、大きな騒動になっていました。
どちらにしろ、
国家が国民に銃を突きつけたのです。
この一連の責任を取り、
寺内正毅内閣が総辞職しました。
〇原敬内閣の誕生
信用ガタ落ちの政府。
当然、次の総理大臣に抜擢されるのは、
国民の信用を回復出来そうな人物です。
その人物は爵位を持たず、衆議院議員。
そう、平民宰相原敬です。
![](https://ya-hon.com/wp-content/uploads/2019/01/原敬-300x229.jpg)
(と言っても、原敬は南部藩の家老の
家柄で、相当な金持ちなんですけどね。)
彼が組閣した内閣は、衆議院第一党の
立憲政友会が殆どの閣僚を占める、
憲政史上初の本格的な政党内閣でした。
※政党内閣とは、選挙で多数派になった
政党が中心となる内閣のことですね。
多くの国民が、
原敬なら普通選挙を実現してくれる。
そう信じていました。
しかし、
原敬は選挙の税額の制限を、3円以上に
引き下げるだけにとどまりました。
更に、大戦後の急激な不況も重なり、
国民の原敬に対する期待は薄れました。
原敬は、東京駅で暗殺されてしまいます。
東京駅丸の内南口の切符売り場付近に、
ポツリと付けられた丸印があります。
そこが、原敬が暗殺された場所です。
投稿の機会が無いかも知れないので+α。
東京駅構内の中央通りから、
新幹線の改札に行く階段の手前辺り。
そこが、浜口雄幸が銃撃された場所です。
やはり、印が付いています。
![](https://ya-hon.com/wp-content/uploads/2019/01/浜口雄幸-300x211.jpg)
どちらも事件に関する掲示物があるので、
迷わず安心♪ヽ(´▽`)/
どうでも良い話ですが、
浜口雄幸の名前の由来は2つあります。
一つは、女の子が生まれると思っていて、
「幸(さち)」と名付けようとしていた所、
男の子が生まれてきたので「雄幸」。
もう一つは、
名前を「幸雄」で役所に届ける時、
父親が酒で酔っ払っていて、
漢字を逆に書いてしまった為に「雄幸」。
どっちにしろ、
本人としては「ふざけんなよ!」と
ブチ切れたくなりますね。
また、風貌と、情が深く誠実な人柄から、
「ライオン宰相」と呼ばれました。
話を元に戻しますが、かつて彼らが居た、
その現場に足を運んでみるのもアリかと
思います。
そっち行く用事、無理矢理作ろうかな…。
…という訳で、行って来ました。
(ブログ更新日時:2019年2月14日)
↓原敬が暗殺された場所
![](https://ya-hon.com/wp-content/uploads/2019/02/原敬暗殺現場1-300x169.jpg)
![](https://ya-hon.com/wp-content/uploads/2019/02/原敬暗殺現場2-300x169.jpg)
↓浜口雄幸が銃撃された場所
![](https://ya-hon.com/wp-content/uploads/2019/02/浜口雄幸銃撃現場1-300x177.jpg)
![](https://ya-hon.com/wp-content/uploads/2019/02/浜口雄幸銃撃現場2-300x161.jpg)
浜口雄幸の方は、ちょっと探しましたね。
でも、中々良いプチ旅行でした。
東京に行った理由については、
【経済の調和が崩れた日-昭和時代ネタ】
をご覧下さい<(_ _)>
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
最近のコメント