【米騒動を警察が抑えられなかった理由】
ロシア革命 → シベリア出兵 → 米騒動。
そんでもって、原敬内閣の誕生。
この繋がりはポイントですよね。
「シベリア出兵を見こした商人が、
米を買い占めたから。」
これが、米騒動が起きた理由。
記述問題も良く問われますね。
米騒動の始まりは、「越中女一揆」。
富山県の漁村の主婦達によるデモが、
事の発端となっています。
この運動は瞬く間に全国に広がります。
民衆が米屋を襲うなどの大事態にまで
発展しました )゚0゚( ヒィィ
という訳で、
今回は米騒動にまつわるお話です。
よろしければお付き合い下さい<(_ _)>
〇何故、警察では歯が立たなかったのか?
今回のタイトルの結論。
まあ、簡単に言ってしまえば、
米騒動の参加者は総勢数百万人とも
言われていますから、
警察力では到底歯が立つ訳がありません。
しかし、もっと普通に考えてみると、
地域の警察官が地域住民を抑えつける。
これって、かなり困難ですよね。
極論言うと、
人人人人人人人人人人人人人人人人人人
エイやッ!!(# ゚Д゚)
YYYYYYYYYYYYYYYYYY
とか言って、女性を殴れないですよね。
そもそも、顔見知りかも知れませんし…。
軍隊を動員せざるを得ないのは、
仕方が無かったことなのかも知れません。
(因みに、動員数は10万以上です。)
それ位、大きな騒動になっていました。
どちらにしろ、
国家が国民に銃を突きつけたのです。
この一連の責任を取り、
寺内正毅内閣が総辞職しました。
〇原敬内閣の誕生
信用ガタ落ちの政府。
当然、次の総理大臣に抜擢されるのは、
国民の信用を回復出来そうな人物です。
その人物は爵位を持たず、衆議院議員。
そう、平民宰相原敬です。
(と言っても、原敬は南部藩の家老の
家柄で、相当な金持ちなんですけどね。)
彼が組閣した内閣は、衆議院第一党の
立憲政友会が殆どの閣僚を占める、
憲政史上初の本格的な政党内閣でした。
※政党内閣とは、選挙で多数派になった
政党が中心となる内閣のことですね。
多くの国民が、
原敬なら普通選挙を実現してくれる。
そう信じていました。
しかし、
原敬は選挙の税額の制限を、3円以上に
引き下げるだけにとどまりました。
更に、大戦後の急激な不況も重なり、
国民の原敬に対する期待は薄れました。
原敬は、東京駅で暗殺されてしまいます。
東京駅丸の内南口の切符売り場付近に、
ポツリと付けられた丸印があります。
そこが、原敬が暗殺された場所です。
投稿の機会が無いかも知れないので+α。
東京駅構内の中央通りから、
新幹線の改札に行く階段の手前辺り。
そこが、浜口雄幸が銃撃された場所です。
やはり、印が付いています。
どちらも事件に関する掲示物があるので、
迷わず安心♪ヽ(´▽`)/
どうでも良い話ですが、
浜口雄幸の名前の由来は2つあります。
一つは、女の子が生まれると思っていて、
「幸(さち)」と名付けようとしていた所、
男の子が生まれてきたので「雄幸」。
もう一つは、
名前を「幸雄」で役所に届ける時、
父親が酒で酔っ払っていて、
漢字を逆に書いてしまった為に「雄幸」。
どっちにしろ、
本人としては「ふざけんなよ!」と
ブチ切れたくなりますね。
また、風貌と、情が深く誠実な人柄から、
「ライオン宰相」と呼ばれました。
話を元に戻しますが、かつて彼らが居た、
その現場に足を運んでみるのもアリかと
思います。
そっち行く用事、無理矢理作ろうかな…。
…という訳で、行って来ました。
(ブログ更新日時:2019年2月14日)
↓原敬が暗殺された場所
↓浜口雄幸が銃撃された場所
浜口雄幸の方は、ちょっと探しましたね。
でも、中々良いプチ旅行でした。
東京に行った理由については、
【経済の調和が崩れた日-昭和時代ネタ】
をご覧下さい<(_ _)>
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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