【恐るべきラジオ第一声-大正時代ネタ】

大正時代




 

【恐るべきラジオ第一声-大正時代ネタ】

 

 

2月になりました。

もう2019年も一カ月経過しましたね。

 

皆様は絶好調でしょうか?

私はこの前に健康診断をしたのですが、

まさかのD判定でした。

 

微妙な判定ですよね(゜レ゜)

何を隠そう、私は病院が大っ嫌いです。

 

血自体は苦手な方ではないと思いますが、

注射された後、何故かヘロヘロに…。

なるべく見ないように、目を瞑っていた

はずなのですが、

やはりヘロヘロになりました(笑)

 

間近で人が注射されている気配を感じる、

それだけでもヤヴァイです。

恐らく、生理的に無理なのでしょうね。

 

しかも、今回から胃カメラが…。

{{{{( ▽|||)}}}}ぞぉ~~~~~

考えただけでも駄目ですわ。

 

しかし、この胃カメラ。

なんと、鼻から管を通せば案外楽と

言うではありませんか。

 

それでお願いしてみました。

名前を呼ばれると、テレビがある個室に。

 

麻酔するとかで、怪しい液体を鼻に注入。

待つこと5分位。

 

鼻水がドゥバドゥバ出てるような感覚と、

そんな姿を見られる凌辱プレイの中、

鼻に管を通されます(T△T)

 

でも、

_人人人人人人人人人人人人人人人人_

管が通りませんっ💦

 ̄YYYYYYYYYYYYYYYY ̄

 

看護師:管が通らないので、口からに

なりますね。どうします?

 

_人人人人人人人人人人人人人人人人_

やりません!

 ̄YYYYYYYYYYYYYYYY ̄

 

と言う訳で、胃カメラを拒否し、

人生初の凌辱プレイだけを受けて、

無事(?)生還しました。

 

ただ、D判定と言うのは重く受け止め、

健康に気を付けようと思います。

 

それで、今回は記念すべきラジオ第一声

のお話をご紹介します。

 

 

〇それぞれの時代で生まれたメディア

 

入試でも覚えておいた方が良いとこです。

=========

明治 → 新聞

大正 → ラジオ

昭和 → テレビ

=========

こんな感じですよね。

 

それにプラスして、

発行部数100万部を超える新聞が誕生

したのは大正時代です。

ここまでは押さえておきましょう。

 

ラジオ放送の開始は1925年から。

運営したのは、ご存知、日本放送協会。

現在のNHKです。

 

 

〇実用化に向けた研究段階にて

 

さて、ラジオ放送の実現には、

長い年月が必要でした。

 

ここでは、日本のラジオ放送開始の

第一声ではなく、

 

それ以前の、ラジオ放送実現に向けた、

研究段階における第一声のお話をします。

 

声を発したのは、福地源一郎。

ジャーナリストとして活躍し、

後に東京日日新聞の発行所、日報社の

社長となった人物です。

(劇作家や政治家としても有名です。)

 

彼の発した言葉は衝撃的なものでした。

 

男:福地先生、何かしゃべって下さい。

 

福地:これ、本当に日本中に聞こえる

ようになるの?

 

男:はい、聞こえます。ここで喋った

ニュースが全国に聞こえるのです。

 

福地:そんなことしてしまったら、

新聞が売れなくなっちゃうじゃないか!

わしゃ困る!

 

そう言った福地源一郎は、

怒って帰ってしまったそうです。

この言葉が電波に乗り、伝えられました。

 

確かに彼の言う通りですよね(笑)

飽くまで逸話なのですが、中々面白い話

だと思います。

 

どうでも良い話ですが、

私はラジオをあまり聞かないどころか、

テレビもあまり見ません。

 

流行りは子ども達に聞きますし、

必要な情報は著名人の音声講義など、

他の情報源から仕入れています。

 

時々、「自分って変なのかな~。」

なんて思ってしまいますが、

取り合えず、それで困っていないので

良しとしています。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。