【平安時代の授業ネタ①-武士が誕生した背景と中尊寺ミイラの真相-】

平安~室町




 

【平安時代の授業ネタ①-武士が誕生した背景と中尊寺ミイラの真相-】

 

 

どうも、野本です。

平安時代のちょっとしたネタです。

 

ちょっとしたネタと述べましたが、

十分に興味を惹くことが出来る内容です。

 

よろしければお付き合い下さい<(_ _)>

また、コチラの記事もご覧下さい<(_ _)>

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【平安時代の授業ネタ②-源氏物語の謎と紀貫之の仮名文字に対する思い-】

【平安時代の授業ネタ③-源頼朝の流刑先と十二単のちょっとした話-】

 

 

〇平安時代の背景

 

突然ですが皆さんは、

平安時代と聞くと、

どのようなイメージが思い浮かびますか?

 

貴族が優雅な生活を送っている…、

農民たちは相変わらず貧しい…、

約400年間も続く良い時代…、

 

などなど、人によって様々でしょう。

 

しかし、一応ここで述べておきたいのは、

 

「バリバリの無法地帯だった」

 

ということです。

 

【奈良時代の授業ネタ-小ネタ①】

でも少しお話しましたが、

 

この時代、

警察機能が存在したのは平安京の中だけ

でした。

 

荘園の拡大により、租庸調の制度の維持が難しく、

朝廷は財政的にかなり苦しんでいた

からです。

 

貴族が優雅に暮らしているイメージ

と言うのは、要は私腹を肥やしていた

からなのですね。

 

芥川龍之介の『羅生門』には、

羅生門(実際は羅城門)の近くに

沢山の死体が放置されていて、

 

老婆がカツラを作る為、

死体の髪の毛を抜き取っている

シーンが描かれています。

 

つまり、

それ位の荒れっぷりだった訳です。

 

地方には国司がいましたが、

国司は農民達から税を搾り取るだけ

の存在でした。

 

ですから、誰も他者を守ろうとは

しなかったのです。

 

そこで、地方に暮らす人々は

自らの身を守る為に武装し、

武士が誕生したのです。

 

 

〇中尊寺のミイラ

 

まんまのタイトルですが、

中尊寺の地下でミイラが発見されている

のを知っていますか?

 

奥州藤原氏清衡基衡秀衡

の三代のミイラです。

 

奥州藤原氏ですが、清衡の母は蝦夷

血を引いており、清衡は日本人と蝦夷の

ハーフだったのです。

 

この蝦夷なのですが、

日本人説とアイヌ人説がありました。

 

清衡・基衡・秀衡は三人とも体が大きく、

とても当時の日本人とは思えなかった

からです。

 

もう、お分かりでしょうか?

DNA鑑定をすれば、蝦夷が何者なのか

分かってしまうのです。

 

あなたは、蝦夷は日本人だと思いますか?

それともアイヌ人だと思いますか?

 

DNA鑑定の結果が出ました。

蝦夷は…

『日本人』だったのです。

 

では、

蝦夷は何故、東北地方で朝廷に抵抗し

続けていたのか?

 

一説ですが、

蝦夷は、元々関東地方に住んでいて、

東北地方に移った日本人である。

その可能性が高いと言われています。

 

神話に、朝廷に追い払われた原住民が、

近畿地方から関東地方、そして東北地方に

移住したということが書かれています。

 

その原住民の流れを汲むのが蝦夷。

 

そのことが、

DNA鑑定により実証されたのです。

 

 

余談ですが、

中尊寺金色堂も実際に見てきました。

 

写真でしか知らなかったので

大きいものなのかと思いきや、

想像していたより小っちゃかったです。

 

撮影禁止というのが、遠路はるばる

行った身としては悔しいですね。

 

ただ、

あれだけ金銀の装飾を凝らしたお堂が、

この時代から現代まで残っている。

 

ここが見所なんでしょうね。

 

今回は、平安時代の授業のネタとして、

平安時代に何故武士が誕生したかと、

中尊寺のミイラについてお話しました。

 

より良い授業の参考にしていただけると

幸いです^^

 

また、コチラの記事もご覧下さい<(_ _)>

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では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。