【頼朝と義経の不和-鎌倉時代ネタ】

平安~室町




 

【頼朝と義経の不和-鎌倉時代ネタ】

 

 

さて、皆さんは、皇位継承に必要な

三種の神器を知っていますか?

言ってみましょ~!

(思い出し中)

『八尺瓊勾玉・八咫鏡・草薙剣』ですね。

(やさかにのまがたま・やたのかがみ・

くさなぎのつるぎ)

 

これを失くしてしまうという大失態を

犯したのが、義経です。

 

 

〇兄弟不和のきっかけ

 

壇ノ浦まで平家を追い詰めた義経。

 

しかし、独断専行で戦い過ぎる義経に、

頼朝は不満を感じていました。

 

この時、義経にあまり無茶な戦いを

させない為、頼朝からは二つの命令が

出ています。

 

一つ目は、

安徳天皇を殺さないこと。

(天皇を殺したとなると、イメージが

悪くなるから。)

 

二つ目は、

三種の神器を確保すること。

(これが無いと、天皇になれないから。)

 

しかし、肝心の安徳天皇は、

祖母である二位尼(にいのあま)と共に

海に身投げしてしまいます。

 

安徳:おばあちゃん、何処に行くの?

 

二位尼:海の底にも美しい都が

ございます。

 

源氏も追いかけ、救助を試みましたが、

二位尼は袖に石を沢山入れており、

沈むのが速かった為、助けることが

出来ませんでした。

 

この時、二位尼は三種の神器も抱えて

水没しました。

 

その内、

八咫鏡は箱が大きかったので浮いて

きましたが、残り二つは見付かりません。

 

そこで頼朝は、全国から素潜りが得意な

海女さんを集め、残り二つの捜索を

始めました。

 

結果、八尺瓊勾玉は見付かったのですが、

残念なことに、

草薙剣は見付かりませんでした。

 

頼朝は怒り、今後、一生義経と顔を

合わせることはありませんでした。

 

 

〇確執をチャンスと捉えた後白河法皇

 

源氏により救われた後白河法皇ですが、

これ以上、頼朝が力を付けることを

恐れていました。

 

そこでどうしたか。

 

頼朝と義経の兄弟の仲を、

完全に引き裂くことを考えたのです。

 

後白河は、源平合戦時から

義経に官職の位を与えるなど、

義経を大変可愛がりました。

 

これを知った頼朝は面白くありません。

 

そもそも頼朝は、朝廷から独立し、

武家政権の樹立を考えていましたから、

朝廷の組織に下ってしまう義経を

見過ごす訳にはいきませんでした。

 

義経は、頼朝の怒りを鎮める為、

手紙を送っています。

 

しかし、頼朝は、

まともに取り合ってはくれませんでした。

 

こうして、

逆上した義経は、頼朝追討を掲げ、

挙兵してしまったのです。

 

しかし、皆がリーダーと認めていたのは、

頼朝の方でした。

 

義経に同調する者は多くはなく、

彼は、平治の乱以降庇護を受けていた、

奥州藤原氏を頼り、匿われますが、

 

頼朝が差し向けた義経追討軍により、

討ち取られてしまいます。

(自刃したという話や、藤原泰衡に

殺されたという話もあります。)

 

また、ぶっ飛んだ話だと、

彼の遺体が本人か判別出来なかった

ことから、

 

彼は中国まで逃げ延びていて、

チンギス=ハンになったという

ものもありますね。

 

 

話は変わりますが、

最初の写真は、壇ノ浦の近くです。

 

向こうに見えるのが、九州。

 

今から830年位前、ここで、

源平合戦に終止符が打たれたんですね。

 

頼朝と義経に確執が生じなければ、

源氏が三代で滅びることはなかったのか、

もしくは、新たな問題が生じていたのか。

 

少なくとも、義経を面白く思っていない

人物は多かったでしょうから、

やはり、確執は避けられなかったのかも

知れませんね。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。