【聖徳太子の授業ネタ1】

古墳~奈良




 

【聖徳太子の授業ネタ1】

 

 

ついにここまで来ました!!

 

日本が誇る超有名人。

その名もぉ~~~~~、

 

しょーとくたいしーーーーーーー🎊🎊🎊

 

ハイッ!聖徳太子です。

 

 

〇厩戸王とも言うけれど…

 

教科書問題について、

これ、どうなのかな?と言うのは

置いとくとして、

 

まず、馬小屋で生まれたから

「厩戸王」(うまやとおう)って、

 

あれっ(゚д゚)!

馬小屋で生まれた有名人って、

 

確かもう勉強していますよね。

 

そう!イエス=キリストです。

 

…と言うことは、

太子、キリスト教を知っていた!?

 

実は、

当時の中国には景教と言う宗教があり、

 

これ、何を隠そうキリスト教の事です。

(正確にはネストリウス派キリスト教)

 

聖徳太子がキリスト教(景教)の存在を

知っていた可能性があるんです。

 

それどころか、

神道、仏教、儒教など、あらゆる教えを

学んでいたとも言われます。

 

恐るべしっ、聖徳太子!!

 

※腰の剣は「七星剣」で、

これは道教の教えからくるもの

です。

 

 

〇空白の10年間、何やってたの?

 

ところで、聖徳太子。

 

593年、推古天皇の摂政として政治を

動かしていくわけですが、

 

603年 冠位十二階、

604年 十七条の憲法 ですよね。

 

あれっ(゚д゚)!

摂政になってから10年も経ってる!

 

太子、この間一体何やってたの?

 

まったくもって謎なんです。

 

一説によれば、全国を旅していたとか…。

 

側近のカツラギノオナラさんと、

四国で温泉に入ったことが発覚している

らしいですが…。

 

温泉好きだったのか?

 

ってか、側近の名前…。

(実際は、葛城鳥那羅と書きます。)

 

まあ、朝鮮語の古語で「オナラ」は

「来て下さい」と言うみたいだし、

 

オナラ=汚い言葉 というのは、

日本語を使う私たちの先入観ですね。

 

 

〇抜群のファッションセンス

 

当時、中国の偉いお役人は、

裳(も)を履いていました。

 

朝鮮人は、馬に乗る為か、

ズボンを履いていました。

 

んで、聖徳太子、

 

なんと、その両方でした。

なんとっ!現代女子スタイル!!

スカートの下にジャージを履くみたいな。

 

恐るべしっ、

ファッションリーダー、聖徳太子。

 

 

余談ですが、

「聖徳太子が蘇我馬子と協力して

新しい政治を進めた。」

 

と、教科書には書いているのですが、

個人的には「ん?」と思ってしまう

んですよね。

 

蘇我氏と言えば、崇峻天皇を殺害した、

皇族からしてみると脅威的存在。

 

皇族サイドである聖徳太子と

簡単に協力体制を築けるのか、疑問です。

 

そもそも、

聖徳太子が蘇我氏と仲が良く、

傀儡のような存在ならば、

 

世襲的な世の中を崩す「冠位十二階」

役人の心得を示した「十七条の憲法」

 

こんなもん、制定しないと思うんですよ。

 

元々、他と訳が違う身分であるにしても、

飽くまで豪族である蘇我氏にとって、

都合が良いものではありませんよね。

 

しかも、

蘇我馬子は「冠位十二階」を断固拒否し、

「別格」の称号を得ています。

 

「天皇中心」を目指す聖徳太子と、

天皇を凌駕しつつある蘇我氏は、

簡単に相容れる関係ではなかったと

私は思います。

 

皇族と蘇我氏。立場上で善悪は

変わってしまうでしょうし、

 

聖徳太子が実在するかしないかなどは

別としても、

 

私個人としては、蘇我氏の抑止力として

聖徳太子が登場したのだと考えています。

(飽くまで現段階の考えですが…)

 

てか、生徒にもそれで教えちゃってます。

(∀`*ゞ)テヘッ 時既に遅し。

 

あなたは、どうお考えですか?

 

最後に、593年で、

♪593(五組)の太子君

 

では、今回はこの辺で。

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。