【藤原の姓の由来-藤原氏の起源に迫る!-】
どうも、野本です。
今回は、乙巳の変のしばらく後。
中臣鎌足が天智天皇(中大兄皇子)から
「藤原」の姓を賜った時のお話です。
前回の記事もよろしければご覧下さい<(_ _)>
鎌足と天智のエピソードです。
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〇歴史書に書かれているエピソード
中臣鎌足が亡くなるのは669年ですが、
この頃、天智天皇(中大兄皇子)とは
少し険悪な仲になっていたようです。
ところが、天智に
「鎌足の容態が思わしくない」という
知らせがやって来ます。
天智は思い出します。
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理想の政治について熱く語り合ったこと。
共に入鹿打倒の為に立ち上がったこと。
大化の改新を進めていったこと。 etc.
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すると、
「鎌足ィィィー!!」
居ても立っても居られなくなった天智は、
猛スピードで鎌足の屋敷まで行きます。
家の戸がうるさいものだから、
鎌足の息子、不比等が開けたらビックリ!(゚Д゚;)
そこには最高権力者、天智天皇が
立っているのです!
天智:鎌足は何処だっ!!
不比等:はいっ!こちらです!!
天智は屋敷を猛ダッシュ。
床に臥している鎌足を見付け、
話します。
天智:鎌足よ、少しの間仲違い
していたが、全て私が悪かった。
今までのこと、許してくれ。
すると、鎌足も
鎌足:私こそ、白村江の戦いの際、
軍略で貢献出来ませんでした…。
天智:それ以上は言うな。そうだ!
お前に大織冠(だいしょくかん)の位と
藤原の姓を与えよう。
これで、そんなことを気に病む必要は
無くなるだろう。
鎌足は涙ぐんで喜びました…。
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最高の栄誉を手にした鎌足ですが、
その翌日、息を引き取りました。
その後、一族は藤原氏と名を変え、
繁栄していくことになります。
〇実際はどうだったのか
上述していることは、恐らく、
藤原の姓の権威を強める為に
作り上げられた、創作話かと思います。
飽くまで一説に過ぎませんが、
「藤原」とは、彼ら一族の在り方を示すもの
だと言われています。
冒頭の画像の花、何か知ってますか?
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『藤の花』ですね。
大きな木に蔓(つる)で巻き付き、
美しい花を咲かせる。
この藤の姿が、天皇という大木に
巻き付き、何百年も栄華を誇った、
彼ら一族の在り方に似ています。
そこから、「藤原」と名乗るように
なったのではないか。
そんな説もあるんですね。
この話を知った時、何か、
こうまでしなければ存続できない、
当時の貴族社会の儚さのようなものを
感じてしまいました。
その中で、藤原氏は栄華を極めていく
のですね。
あっ、画像は、有名な春日大社で
撮影したものです。
また行きたいな~。
ちなみに、この天智と鎌足のお話を
劇プレゼンでやってみたら、
生徒達が学校で真似したそうです(笑)
楽しさは伝播する、そんな感じでしょうか。
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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