【東大寺大仏建立の真相】

古墳~奈良




 

【東大寺大仏建立の真相】

 

 

どうも、野本です。

 

今回から奈良時代の授業ネタです。

 

奈良時代と言えば、東大寺の大仏。

「仏教の力で国を治めようとした。」

記述問題の定番ですね。

 

でも、思いませんか?

「聖武天皇って…、バカだったの?」と。

 

当時、

伝染病や政治的混乱で世が乱れていた

とは言え、

 

時の為政者が、全てを仏教任せに

するものなのでしょうか?

 

大仏を建立するだけで

国家が栄えるなら、

誰も苦労はしませんよね。

 

では、本当の理由は一体…。

 

真相に入る前に、小ネタを1つ…。

 

 

〇右京と左京は何故反対?

ざっくり表すとこんな感じですよね。

 

これ、勘が冴えている生徒は気付く

のですが…、

 

『平城宮に居る天皇から見た視点』

だということですね。

 

気付いた生徒は

盛大に褒めてあげましょう。

 

 

〇藤原氏の敵対者、長屋王

 

さて、本題に入りましょう。

 

東大寺の大仏が建立された理由ですが、

そこには人に言い難い裏が存在する

と思われます。

 

教科書に書かれている内容だと、

単に厚い信仰心からくるものだという

解釈になってしまいますが、

 

それだけで世の中の乱れが収まる

訳がありません。

そんなこと位、誰でも理解出来ますよね。

 

では、何故大仏を建立したか?

隠された裏を探ってみましょう。

 

聖武天皇に関わる、こんなお話が

あります。

 

聖武天皇の婚約者に光明子という

女性がいました。(↑こうみょうし)

 

この女性、藤原氏出身です。

 

藤原氏は考えました。

「光明子を皇后にしよう。」と。

(皇后とは、最上位の后のことです。

当時、皇后になれるのは、皇族出身の

女性だけでした。)

 

しかし、これに反対する者がいました。

長屋王(ながやおう)という皇族です。

(皇族からすれば当り前ですよね。)

 

この長屋王により、藤原氏の計画は

足止めされてしまったのです。

 

しかし、

この時、聖武天皇と光明子の間に

生まれた子が、突然亡くなりました。

 

藤原氏はこのことを、

「長屋王が呪い殺したのだ!」

「長屋王は謀反を企んでいる!」と、

平城京中に噂をばら撒いたのです。

 

この噂が真実にすり替わるのに、

そんなに時間はかかりませんでした。

 

謀反という無実の罪を着せられ、

長屋王は自殺しました。

 

この後、何事もなかったように

皇后になった光明子でしたが、

恐ろしいことが起こります。

 

ナント!藤原氏の有力者たちが

次々とはやり病にかかり、

亡くなってしまったのです…。

 

 

〇大仏建立の真相

 

聖武天皇と光明子は非常に恐れました。

これは、長屋王の祟りではないかと…。

 

この祟りをどうやって鎮めれば良いか。

このままでは自分達の身が危ない。

 

ここで、聖武天皇は、

壮大な国家プロジェクトに踏み切った

のではないでしょうか?

 

つまり、

中央である奈良に東大寺と大仏を建て、

各国には国分寺と国分尼寺を建てる

ことを考えたのです。

 

それぞれの本名は、

 

奈良の大仏は「盧舎那仏」。

(るしゃなぶつ)

盧舎那とは「太陽」を意味します。

 

国分寺は「金光明四天王護国之寺」。

(こんこうみょうしてんのう

ごこくのてら)

 

国分尼寺は「法華滅罪之寺」。

(ほっけめつざいのてら)

 

要は、

盧舎那仏によって日本中に光を照らし、

 

国分寺と国分尼寺によって、

国家の繁栄と安泰を願い、

長屋王に対する自分達の罪を浄化する。

 

大仏建立の本当の理由は、

ここにあったのではないでしょうか。

 

一説に過ぎませんが、

東大寺の大仏も、「怨霊信仰」の産物の

可能性があるという訳です。

 

聖武天皇が、何かを恐れるように

遷都を繰り返したことを考えてみると、

説得力がある説だと思います。

 

生徒には、

「長屋王の説明」と「法華滅罪之寺」位を

教えてあげれば、十分通じると思います。

 

音声を載せました。

よろしければ参考にして下さい。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。