【聖徳太子の授業ネタ3】

古墳~奈良




 

【聖徳太子の授業ネタ3】

 

 

どうも、野本です。

 

聖徳太子の授業ネタ3回目です。

 

今回は少しエロいお話です。

(´∀`*)ウフフ

 

 

〇聖徳太子の死因

 

622年、聖徳太子が亡くなります。

 

これ程の偉人なのに、死因は全く不明の

ままです。

 

と言うか、日本の偉人は何故か死因が

不明であることが多いです。

 

源頼朝然り、織田信長然りです。

(信長の死については、何故、明智光秀が

謀反を起こしたかが不明ですね。)

 

聖徳太子の死に関することは、

歴史書には少ししか書かれていない

ようです。

 

大体こんな感じみたいですね。

ある日、太子は、夫人である

膳大娘(かしわでのおおいらつめ)

に言った。

 

太子:膳大娘よ、私は明日、死んで

しまうかも知れない。

だから、どうだろう?今夜は私と

一緒に寝てはくれないか?

 

膳大娘:良いですね。では、今日は

私と一緒に寝ましょう。

 

次の日、太子の部下が家の戸を開けると、

二人は既に冷たくなっていた…。

どうでしょうか?

 

何故、二人は亡くなったのでしょうか?

少し、考えてみて下さい。

(考え中)

伝染病?毒殺?自殺?

色々な説がありますが、

 

歴史をひも解くときに、

「誰が得をするか」で見て欲しいと

思うことがあります。

 

太子の死により、再び蘇我氏の独裁体制

になりました。

 

太子の子孫も、全員が蘇我入鹿に

殺されています。

 

と言うことは、この場合、

『蘇我氏によって暗殺された』と

考えられるのではないでしょうか。

 

太子は自分が殺されるのを分かっていた。

 

だから最期は、

4人いる妻の中で最も愛していた女性、

膳大娘との死を選んだ…。

 

え!?だって、

地球最後の日、誰と一緒にいたい?

 

そりゃーもちろん、

自分が最も愛する人とですよね。

 

他の3人は、推古天皇や蘇我馬子の娘で、

要は政略結婚、太子からして見れば、

本当に愛していたわけではなかった。

 

しかし、膳大娘は唯一の恋愛結婚

だったそうです。

 

こんな所から、聖徳太子も一人の人間

であることがうかがえます。

 

 

余談ですが、太子の妻の一人、

橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が

作らせた、「天寿国繍帳」が有名です。

(「てんじゅこくしゅうちょう」です。)

太子が往生した、天寿国の様子を描いた

もののようです。

 

これは勝手な想像ですが、

 

愛していた聖徳太子の死を悼み、

そして、太子と共に葬られた膳大娘

に対するジェラシーから誕生したもの

なのかも知れませんね。

 

自分が彼の一番の妃なのだと…。

 

う~ん、女心って怖いです(^^;)

 

音声を載せました。

よろしければ参考にして下さい。

 

 

〇聖徳太子の名は蘇我氏が生んだ!?

 

「聖徳太子怨霊説」という説があります。

 

厩戸王が何故、聖徳太子と名付けられた

のでしょうか?

 

全ては、彼が蘇我氏によって非業の死を

遂げたことを前提とします。

 

振り返ってみると、

歴代天皇名の中で「徳」が付く天皇は、

非業の死を遂げていることが分かります。

(崇徳上皇が有名ですね。)

 

故に、「徳」とは、非業の死を遂げた

者に贈られるものなのですね。

 

また、厩戸王を暗殺したはずの蘇我氏が

滅んだことは、彼の祟りによるものと

恐れられるようになりました。

 

よって、非業の死を遂げ、怨霊と化した

厩戸王を鎮める為に、彼を「聖徳太子」

と名付けたという訳です。

 

※「聖」は怨霊が善なる神に転化した

ことを意味するようです。

 

これは、歴史小説作家で研究家でもある、

井沢元彦氏の考察です。

 

日本には「怨霊信仰」があることからも、

面白く、説得力のある説だと思います。

 

 

これからも、授業に関するネタをご紹介

していきますが、自分が言っていること

が辻褄が合わなくならないよう、

注意はして下さいね。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。