【徳川吉宗の授業-江戸時代ネタ】
1616年、徳川家康が死にました。
♪1616(色々)あったな~で家康没
その100年後、8代吉宗による
享保の改革が始まります。
吉宗は、米価の安定に力を注ぎ、
「米将軍」と呼ばれた人物です。
と言う訳で、
今回は8代将軍、徳川吉宗についてです。
〇元々は将軍候補ではなかった
8代将軍吉宗ですが、
最初は将軍どころか大名にすらなれない、
そんな状況でした。
吉宗は御三家の一つ、紀伊家の三男です。
尾張、紀伊、水戸の中で、
尾張と紀伊は水戸よりも格上なのですが、
それでも三男では、
とてもじゃないけど将軍になるのは
厳しい状況でした。
ところが、
尾張と紀伊の長男がそれぞれ亡くなり、
次男も突然亡くなったのです。
そこで尾張と紀伊の三男で
将軍の座が争われたのですが、
吉宗は紀伊藩の経済改革に成功していて、
その為、まさかの大逆転で将軍に。
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絶対怪しいですね💦コレ(-_-;)
確実に裏で何かの力が働いています。
紀伊藩には根来衆(ねごろしゅう)という
忍者集団が居て、
吉宗が将軍になった時、
根来衆は伊賀・甲賀と同じ公儀隠密に
昇格しています。
ということは、
裏で毒殺や斬り合いが繰り広げられた
可能性が高いですね。
余談ですが、
吉宗がまだ若く、好き勝手していた頃、
伊勢神宮へ行った時に大喧嘩をして、
その地を治める奉行に説教されました。
その説教をした人物が、
公事方御定書の編纂に関わった大岡忠相
(ただすけ)です。
きちんとした人物であることを
吉宗自身が身をもって知っているから、
重要なポストに抜擢されました。
〇有名なのは目安箱
この人物がやった政策の中で、
ダントツに覚え易いのが目安箱ですね。
入れられた投書は、
名前と住所が書かれているものだけ、
将軍が直々に読みました。
この目安箱を通して創設されたのが、
町火消しと小石川養生所です。
まあ、そこら辺については、
中学校では詳しく触れないことが多く、
何も説明は必要ないかも知れません。
ただし、余裕があるなら、
少し位説明してあげてもいいですよね。
町火消しがネタにし易いと思いますので、
そのお話を少々。
(いろは四十七組のお話ではありません。)
町火消しは、どんな人が担っていたか
についてですが、ご存知でしょうか?
ここでク~~~イズ!!
町火消はどんな人がやっていたでしょう?
ヒント① 現在もある職業です。
ヒント② 少し変わった服装をしてます。
ヒント③ 勇気がいるかもしれません。
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(考え中)
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はい、いかがでしょうか。
正解は~、
ジャジャン♪『とび職』でした。
火消しは高い所に上ったりもしますから、
仕事内容に適していますよね。
いかがでしょうか。
ここら辺は、生徒にとっては
覚えることが多くて大変でしょう。
妥協は出来ませんが、
記憶に残る授業をしてあげたいですね。
最後に、
♪よし、今日、寒天にしよう!
よし=徳川吉宗
今日=享保の改革
寒=寛政の改革
天=天保の改革
う~ん、どうでしょう(^_^;)
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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