【ペリーを呼んだ人物-江戸時代ネタ】
突然ですが、あの有名なペリー。
彼がどうやって日本にやって来たか、
ご存知でしょうか?
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(思い出し中)
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はい、いかがですか。
彼の出身地は、
アメリカバージニア州のノーフォーク
という、東部の沿岸にある軍港です。
ペリーは、ノーフォークからアフリカの
喜望峰に向かい、インド洋を通り、
シンガポールからマラッカ海峡を通って、
沖縄の周りを渡り浦賀に来航します。
完全に日本までの地図が出来上がって
いました。
はて(・・? 何故でしょう?
実は、日本地図を渡した人物がいます。
それは一体誰でしょう?
中学でも習う人物ですよ。
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(考え中)
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どうでしょう。めぼしい人物を
連想できましたか?
正解はぁ~、
ジャジャン♪『シーボルト』です🎊
彼は自分がオランダ人と偽り、
日本に入国しました。
言ってみれば、ドイツからのスパイ
なんですね。
彼は一時帰国する際、国禁である
日本の地図を持ち出そうとしました。
当時、
日本の地図を国外に持ち出した者は死罪。
シーボルトに地図を渡した、
天文方の高橋景保は死罪になっています。
シーボルト自身は、地図の返還を拒否。
死罪は免れましたが、
国外追放の処分を受けました。
彼はドイツに帰国後、フランクフルトで
日本研究者として有名になります。
(日本は世界で唯一開かれていない国
でしたから、各国の興味の的でした。)
それがアメリカにも伝わり、
ペリーがシーボルトに会いに来る訳です。
シーボルトは迷いましたが、
日本に武力を使わないことを条件に、
持っている地図を差し出しました。
(まあ、使わない訳がないですけど…。)
こうして正確な情報を得たペリーは、
四隻の黒船と共に日本にやって来ます。
いかがでしょうか。
今回の内容は、前回の伊能忠敬のお話に
続かせることが出来るものですね。
(よろしければ、
【化政の文化人-江戸時代ネタ】も
ご覧下さい<(_ _)>)
因みに、シーボルトの国外追放は
後に解除され、再来日を果たしています。
その際、妻のお滝と娘のイネとも再会。
イネは、日本初の女医として有名です。
(かなり波乱万丈な人生を生きた人物
でもあります。)
また、シーボルト達を密告したのは、
間宮林蔵と言われています。
シーボルトが持ち出した地図は、
間宮林蔵が調べた、間宮海峡についての
情報も含むものでした。
(当時、樺太が島であることは日本のみが
知っている情報で、大変重要でした。)
しかも、間宮林蔵の本職は公儀隠密。
つまり、忍者です。
未踏の地の探検や、地図の作成など、
幕府の海防に関わる仕事を担いました。
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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