【何故逃亡!?徳川慶喜-江戸時代ネタ】
突如始まった戊辰戦争。
勝利したのが新政府軍であることは、
既にご存知の通りですね。
しかし、戦争勃発時、
戦況が有利だったのは幕府軍でした。
そもそも兵力が違います。
しかし、
徳川慶喜は水戸学を叩き込まれていて、
天皇の命令は絶対だと教えられています。
新政府側に錦の御旗、菊の紋章が入った
天皇家の旗が上がっているのを見た瞬間、
なんと、徳川慶喜は恐れおののき、
江戸まで帰ってしまったのです。
敗戦後、徳川慶喜は政治に一切関わらず、
隠居暮らししました。
趣味は写真とサイクリングでした。
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どうも、野本です。
突然ですが、本当ですかね?コレ。
だって、将軍が戦争で逃げますか?
しかも戦況は有利だったのに…。
という訳で、今回はそんな謎ばかりの
内容を少し検証しようと思います。
よろしければお付き合い下さい<(_ _)>
〇水戸学を叩き込まれていても…
水戸学を洗脳に近い形で叩き込まれた
としても、戦争になる時点で、
朝廷に牙を剝く可能性があることを
考慮しなかったのでしょうか。
それに、徳川慶喜にとって許せないのは
薩長などの倒幕派でしょう。
天皇を敵に回しそうになったなら、
天皇に直接敵になるつもりが無いことを
伝えれば良いですよね。
態々、数人の部下と共に江戸へ帰り、
寛永寺で謹慎して、天皇に反抗する意思
が無いことを示すって意味不明です。
どこぞの怪しい宗教に洗脳されていたり、
麻薬漬けの方なら仕方が無いでしょうが、
そういう人間がそもそも将軍になど
なれる訳がありませんよね。
水戸学云々のお話しは良く聞く所ですが、
徳川慶喜逃亡の核心にはなっていない、
私はそう思います。
〇外国は戦争に加担しなかった?
外国(主に英仏)が局外中立を保ち、
新政府軍と幕府軍共に外国勢力の協力を
仰がないことを約束していた。
これは、外国にとって戊辰戦争とは、
「天皇と将軍との間の内戦」と認識して
いたからだそうです。
なんか、これも怪しい気がしませんか?
戦争でそんなことなどあり得ないと、
私はそう思います。
(勝てば良いというのが、世界の常識
ですからね。)
特に、欧米列強の国なんて、
我々をイエローモンキーとか言って
差別していたはずです。
こんな時だけ紳士ぶられても困る
ってもんですよね。
第一、この時のイギリスとフランスは、
大量の武器を日本に売っています。
それに、そもそも彼らは何しに日本へ
やって来たのでしょう?
日本を植民地やそれに準じるものにする、
これが目的のはずです。
数多くある国の中で、日本だけが例外。
そんな訳がありません。
実際、明治の世になってから、
俗に言う長州ファイブが中心となって、
イギリスに大量の金を渡しています。
どんな恩がイギリスにあるのでしょう?
不思議ですね。
少なくとも、戊辰戦争は外国勢力の影響
を受けていることが分かります。
いかがでしょうか。
以上のお話しから考えると、
徳川慶喜が逃亡した理由とは、
思想によるものではないと思われます。
その時の状況や社会情勢から考えると、
徳川慶喜には何らかの凄まじい圧力が
掛けられた。
そんな気がしてなりません。
そして、
怪しいのは外国勢力ではないでしょうか。
征夷大将軍である徳川慶喜に対し、
謎の行動を強制する程の力がある存在は、
外国勢力位のものかと…。
とにかく、ここら辺の日本の歴史は、
何故だか歪められてしまっていて、
不可解なことが多いです。
今回は、その一つである、
徳川慶喜の逃亡を取り上げました。
答えが無い内容でスイマセン。
(真実を知っていれば良いのですが…。)
ですが、このお話しは、
私が独断で考え出した訳ではないので、
ネタとしては使えると思います。
(ちょっと固いですね💦)
話は変わりますが、
徳川慶喜にインタビューしてみたいです。
慶喜:いやぁ~、俺、あの時さ、マジで
ビビっちゃったんだよね(∀`*ゞ)テヘッ
とか言われないことを願います。
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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