【元禄文化の授業-江戸時代ネタ】

江戸時代




 

【元禄文化の授業-江戸時代ネタ】

 

 

どうも、野本です。

 

江戸時代の元禄文化の授業ネタです。

 

基本的には覚えてそれでおしまい。

その際、元禄と化政の人物を間違えない

で覚えさせる。

 

こんな感じになりがちな文化ですが、

そんな内容こそ、少しは面白くしたいと

思いませんか?

 

いくら何をやっても生徒に響かない時は

ありますが、

 

よろしければ、参考にしてみて下さい。

 

 

〇下るもの、下らないもの

 

現在でも使われている「下らない」

の語源ですが、

 

この時代、上方と呼ばれる場所が

京都や大阪を示したように、

江戸の位置づけはまだ下でした。

 

このことから、

京都や大阪で作られ、江戸に運ばれる物

は「下りもの」と呼ばれます。

 

しかし、

江戸が大都市化するにつれて、

態々大量の物資を江戸まで運ぶのは

大変な手間になりました。

 

そこで商人達は、

職人を江戸近辺まで引き連れ

生産を行わせることにしました。

 

出来上がった品々は、

本家本元よりちょっと質が下がった、

そこそこの物になります。

 

これを「下らないもの」と言い、

現在の「下らない」に繋がっています。

 

元々は、品質が低い、二流品といった

意味合いなんですね。

 

 

〇松尾芭蕉忍者説

 

松尾芭蕉は、

『奥の細道』の作者として有名ですね。

 

しかし、この『奥の細道』は意外と曲者。

 

書いてある通りに移動しようと試みると、

必ず壁にぶつかるのです。

 

途中から、「車で移動したのかよ!?」

ってくらい、移動スピードが速すぎる

部分があって、

 

とてもじゃないですが、

芭蕉が書き記してある通りに動けません。

 

そういうところからも、

「松尾芭蕉は忍者だった」といった説が

ある訳ですが、

 

その真偽はともかくとして、

人間の全力ダッシュは約時速36km。

 

いくら忍者と言えど、

車と対等には渡り合えません(笑)

 

ですから、

松尾芭蕉は、実は行ってない場所もあり、

その場所については、創造で書き記した

のではないかと言われています。

 

 

〇燕子花図屏風って何がすごいの?

尾形光琳作の燕子花図屏風。

 

国宝でもありますが、

これって、一体何がすごいの?

 

大胆な色使いも去ることながら、

最も優れているのは、燕子花の花の配置。

 

左半分(上側)はこちらに迫るように、

そして右半分(下側)は離れていくように、

 

まるで川の流れのように花が配置され、

見ている者に躍動感を感じさせます。

 

え!?何も感じないΣ( ̄□ ̄|||)

 

実際には屏風なのでジグザグに折られ、

それがまた味を生み出すようですよ。

気になる方は、直に見た方が良いかも…。

 

いかがでしょうか。

 

こういったものの他に、

文学作品のストーリーを紹介してみても

面白いかも知れません。

 

『好色一代男』や『曽根崎心中』などが

ありますね。

 

長く説明すれば良い訳ではありませんが、

優れたものとして後世に残っているのは

何故なのか。

 

それを考えて授業してみると、

実は文化こそネタの宝庫に思えてきます。

 

最後に、

元禄文化は

♪痴漢待つ場所、もろに見返り再確認

痴漢待つ…近松門左衛門

待つ場所…松尾芭蕉

もろに…菱川師宣

見返り…見返り美人図

再確認…井原西鶴

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。