【島原・天草一揆の授業-江戸時代ネタ】

江戸時代




 

【島原・天草一揆の授業-江戸時代ネタ】

 

 

あなたは神を信じますか?

 

どうも、野本です。

 

今回は、

前回のお話と関連する鎖国のきっかけ、

島原・天草一揆についてです。

 

どうぞ、お付き合い下さい。

 

そういやぁ、大学生の頃、

普通に道を歩いていたらモルモン教に

勧誘されたなあ…。

 

 

〇飢餓に苦しんだキリスト教の農民達

 

まずは、何故、一揆が起きたのかを

お話したいと思います。

 

重い年貢とキリシタンの迫害がきっかけ

となっていますが、

 

実際にどんな感じだったのかというと、

 

当時、九州は干ばつなどの災害により、

飢餓が広がっていました。

 

しかし、島原近辺を治める大名は、

それでも年貢を出せと強要します。

 

種もみすらも出せと強制してきた位です。

これは中々酷いですね。

種もみも年貢にしてしまったら、

次の年が何も出来ないのに…。

 

そう反対した農民達を、大名は

「何か企んでいるのではないか?」と、

 

彼らを「蓑踊り」の刑に処しました。

 

蓑踊りの刑とは、

処刑人に蓑を着せて、火を付け、

焼死させるというものです。

 

酷い仕打ちに恐れおののく農民達。

 

しかし、そんな彼らに、

一人の救世主が現れました。

 

年齢にして15歳、天草四郎時貞です。

 

 

〇幕府、まさかの大苦戦

 

天草四郎は、水の上を歩くなど、

様々な奇跡で伝説となりました。

 

実際には彼の父親が指揮を執っていた

という話もありますが、

 

どちらしろ、彼が優秀な少年だった

ことは確かだったようです。

 

それに、

神のオジサンより、「神の子」の方が

神秘性がありますよね。

 

天草四郎の父親は、それを狙ったのかも

知れません。

 

一揆の軍勢はざっと3万7千。

 

その人数に対し、

幕府軍は12万以上の大軍で鎮圧します。

 

この人数から見ても分かるように、

彼らはかなり手強い存在だったようです。

 

まず、

ポルトガルまたはスペインの支援が

あったのでしょう。

 

一揆軍は火薬を大量に所持しており、

鉄砲で幕府軍と戦いました。

 

困った江戸幕府は、

彼らが立て籠もる原城に、

忍者をスパイとして潜入させます。

 

しかし、彼らが戻ってくることは

ありませんでした。

 

一揆軍の幹部達の会議は、

ラテン語などで行われていました。

 

潜入した忍者は、何を話しているのか

さっぱり理解出来ません。

 

会議中、急に彼らは

「座れ。」とラテン語で号令をかけます。

 

それで座らなかった人間は

スパイと見なされ、斬られていたのです。

 

 

〇ポルトガルの裏切り

 

幕府軍を苦しめた一揆軍ですが、

彼らの籠城も長くは続きません。

鉄砲の弾が段々と不足してきたのです。

 

彼らは、

十字架のネックレスなどを溶かし、

弾に変えていました。

 

しかし、

それもすぐに底を突いてしまいます。

 

更に、敗戦が漂い始めた時、

一揆軍を支援していたポルトガルは

支援を止め、彼らを裏切りました。

 

一揆を支援することと、

今後も日本と貿易を続けることを

天秤にかけたのですね。

 

その後間もなく原城は落ち、

天草四郎の首は出島のポルトガル商館前

にさらされました。

 

いかがでしょうか。

 

ポルトガルが一揆軍を裏切ってなければ、

もしかすると、江戸幕府に恨みを持つ

大名達が一揆の味方をすることもあった

かも知れません。

 

そうなると、歴史が違ってきます。

 

まあ、

一揆の鎮圧後、ポルトガルとの貿易も

日本はしなくなりますから、

ポルトガルの思惑は完全に無駄でしたね。

 

ちなみに、その地を治めていた大名は、

一揆を招いた責任を問われ、

江戸時代唯一の大名の斬首刑になります。

領民達に対する、せめてもの償いですね。

 

最後に、

島原・天草一揆がきっかけで、

日本は完全な鎖国へと向かう。

 

このことは、歴史の繋がりとして、

しっかり理解してもらいたいところです。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。