【外交・領土問題の授業-明治時代ネタ】
どうも、野本です。
今回は、外交・領土問題に関わるお話し
の小ネタ集です。
説明する際の参考などにどうぞ<(_ _)>
〇樺太・千島交換条約の凄さ
1875年 樺太・千島交換条約。
千島列島が日本領、樺太がロシア領に。
ふ~ん。
・
・
・
…という感じで、
流れてしまいそうなこの出来事。
実はこれって、
滅茶苦茶凄くないですか?
当時の世界はイギリスが覇権国だった
と思われますが、
ロシアはそれに匹敵するような力を
持っていました。
その国と対等な話し合いをしている
って訳ですから、結構なお話しですよね。
ロシアの外交に当たったのは、榎本武揚。
戊辰戦争で最後まで幕府軍として戦った
人物として有名ですね。
ちなみに、蝦夷共和国の樹立を宣言した、
バイタリティー溢れる人物でもあります。
五稜郭の戦いの後、投獄されましたが、
福沢諭吉らの尽力により出獄。
明治政府の要職に就き、その手腕を発揮
しました。
五稜郭の戦いの時、
降伏するのに反対し、突撃を決意した
土方歳三を止めに入り、
土方:ありがとう。最後に良い夢を
見させてもらった。
土方歳三は榎本武揚にそう言い放ち、
行ってしまいました。
こういった有名なシーンのある人物
でもあります。
(これだと、土方歳三の有名シーン
になってしまうかも…。)
〇琉球処分の不思議さ
何が不思議かっていうと、
え!?日本ってこれ関係ある?
って感じの部分があるのです。
関連事項を時系列にしてみると、
1871年 琉球漁民台湾漂着事件
1872年 琉球藩設置
1874年 台湾出兵
1879年 沖縄県設置
台湾出兵というのは、
日本が琉球漁民台湾漂着事件の謝罪と
賠償を清国政府に要求したところ、
清国政府は、
台湾は野蛮人がうようよしている場所
だからと、良く分からない回答をした
ことがきっかけで起こりました。
慌てた清国政府は、
イギリスに日本との間を取り持って貰い、
日本側の要求に応じました。
謝罪と賠償を受け入れたのです。
しかし、これって不思議ですよね。
冷静に考えれば、
これは清国政府と琉球王国政府との問題
だったはずです。
日本政府が琉球の漁民の被害を
清国政府に抗議し、
清国政府が受け入れたということは、
琉球王国が日本の支配下にあることを
認めたということになります。
良くも悪くも、この時の日本は考えて
いますね。
現在、立場が逆転するように、
中国が沖縄や尖閣諸島の領有権を主張
しています。
しかし、その根拠は滅茶苦茶で、
残念ながら100%あり得ません。
こういうことは、
毅然とした態度で対応することで、
寄せ付けないようにしたいですね。
〇北海道旧土人保護法の中身
アイヌ民族といえば、狩猟民族。
もちろん、お金なんて持っていません。
このアイヌ民族に対し、
土地を与え、農耕を奨励するというのが
この法律です。
アイヌの人々は痩せた土地を与えられ、
サケ漁なども禁止に。
表向きはアイヌ民族の保護を掲げては
いましたが、同化政策(日本人化)を
更に推し進めるものでした。
そもそも、旧土人という呼び名自体が
差別的ですよね。
結果、アイヌの伝統や文化が破壊され、
更には土地所有者として地租が発生。
当然払える訳もなく、アイヌの人々は
土地を取り上げられてしまいます。
この法律は1997年まで存続しました。
廃止した同年に、アイヌ文化振興法が
制定されています。
アイヌ民族については、
公民の平等権のところでも学びますね。
いかがでしょうか。
今回の内容は、長々とお話しするもの
ではありませんね。
しかし、
単調になってしまいがちな部分でも、
少しの工夫や説明を加えることによって、
興味深いお話にすることが出来ます。
偉そうなことは言えませんが、
是非、参考にしていただけると幸いです。
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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