【西郷隆盛の姿-明治時代ネタ】

明治時代




 

【西郷隆盛の姿-明治時代ネタ】

 

 

皆さんは、

西郷隆盛の姿を知っていますか?

 

これ↓だと思っている方もいますね。

ですが、残念なことにこれは版画です。

西郷隆盛の姿をイメージしたものです。

 

顔の半分より上は、弟の西郷従道。

半分より下は、従弟の大山巌。

それぞれ、初代海軍大臣、初代陸軍大臣

になる人物です。

彼らの顔を足したものなんですね。

 

残念ながら、

西郷隆盛の写真はありません。

彼は写真が大大大大キライでした。

 

という訳で、今回は、

前回に続き西郷隆盛のお話です。

(よろしければ前回の記事、

【例え逆賊となろうとも-明治時代ネタ】

もご覧下さい<(_ _)>

https://ya-hon.com/saigouseinan)

 

さて、話を元に戻します。

 

 

〇大久保利通に喝!

 

大久保利通が岩倉使節団として

海外派遣されている時、

 

大久保は、親友である西郷のことを

自慢しまくっていたらしいです。

(言い合いになるのは、帰還後です。)

 

そして、

そんな凄い人なら、一度姿を見たいと

言われました。

 

そこで大久保は、自分の姿を写真で撮り、

「その写真をあげるから、君の写真を

送ってくれ。」と、彼に手紙を送ります。

 

しかし、送られてきたのは1通の手紙。

手紙にはこう書かれていました。

「写真なんてみっともない真似は

やめなさい!」

 

 

〇明治天皇の命令を無視

 

明治天皇が西郷隆盛のファンだったこと

は有名なお話です。

 

明治天皇も西郷に「写真をくれ。」と

頼んでいました。

 

しかし、西郷はそれ位では動きません。

 

そこで、明治天皇は

大の写真嫌いにも関わらず、自分を撮り、

「これをやるから、お前の写真をくれ。」

ともう一度頼みました。

 

西郷からの返事は来ませんでした。

 

 

〇村田新八が動く

 

この状況はマズいと動いたのは、

村田新八でした。

(幕末は西郷の側近、維新後は天皇の側近

を務めていた人物です。)

 

彼は、数人で年がら年中鍵が開いている、

西郷の家に忍び込みます。

 

そして、西郷の写真を撮ろうとすると、

西郷、まさかの素っ裸で寝ていました。

 

せめて顔だけでもと思い、

覗き込んでみると、

 

すると、なんと、よだれを垂らして

寝ているではありませんか。

 

これでは陛下に見せられないと、

村田新八達は撤退せざるを得ません

でした。

 

いかがでしょうか。

 

よだれを垂らしていても、

写真を撮ってさえいれば、

西郷隆盛の姿が分かったはずなのに…。

非常に残念です。

 

また、いつか載せようと思っていた、

明治維新の語呂合わせを紹介して、

今回は終わりにしたいと思います。

 

♪明治維新は、

ご    →箇条のご誓文

はん   →籍奉還

(の)

はい   →藩置県

が    →

ちょう  →兵令

ちぃせぇ →地租改正

(ご飯の胚芽、超小せぇ)

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。