【伊藤博文暗殺の真相-明治時代ネタ】

明治時代




 

【伊藤博文暗殺の真相-明治時代ネタ】

 

 

さて、突然ですが、

皆さんはこの人物をご存知ですね。

(思い出し中)

はい、いかがでしょうか。

正解はぁ~~、ジャジャン♪

『安重根(あんじゅうこん)』、、、

 

ではなくて、

 

『世界のナベアツ(現:桂三度)』でした🎯

 

本物の韓国の英雄はコチラ↓

う~ん、もっと際立って似ている画像が、

以前はあったんですけどね。

 

どうも、野本です。

この始まり方、3回目くらいですね。

 

今回は、日露戦争後の世の中、

伊藤博文暗殺と韓国併合のお話しです。

よろしければお付き合い下さい<(_ _)>

 

 

〇韓国と伊藤博文

 

満州のハルビン駅で暗殺された伊藤博文。

彼を暗殺したのが、安重根ですね。

 

日露戦争後、韓国統監府が置かれ、

伊藤博文は初代韓国統監として就任。

事件の勃発当時は統監を辞任しており、

枢密院議長を務めていました。

 

対する安重根は、朝鮮の独立運動家です。

伊藤博文暗殺後に処刑されてしまいます。

 

伊藤博文は、韓国国民からしてみれば、

恨めしい人物だったかも知れません。

 

ちなみに、

朝鮮人が嫌う日本の歴史人物は、

伊藤博文と豊臣秀吉がブッチギリです。

 

しかし、

伊藤博文って、韓国を併合することには

慎重な立場をとっていたんですよね(-_-;)

 

伊藤博文自身は韓国統監でありながら、

韓国国民の力量を認めていました。

更に韓国併合には、費用の面などからも

問題があったのです。

 

伊藤博文は、一時韓国を保護し、

その後は独立させることを主張しました。

 

しかし、

この伊藤博文が暗殺されることで、

韓国併合への道は一気に加速。

1910年に現実のものとなりました。

 

 

〇韓国併合

 

これに伴って結ばれた韓国併合条約。

韓国全権李完用(リ・カンヨウ)は調印時、

手が震えてしまってサイン出来なかった

という話があります。

(自分がその立場だったら嫌ですよね。)

 

条約の調印後、朝鮮総督府が置かれます。

大理石で出来た大きな建物です。

何でも、日本は一生懸命下調べをし、

風水上、韓国を完全に封じ込める場所に

総督府を置いたそうです。

 

日本の敗戦後も残っていましたが、

1995年、忌むべき過去の産物として

取り壊されました。

 

 

〇伊藤博文暗殺≠安重根

 

伊藤博文暗殺の犯人は、安重根ではない

という説があります。

 

暗殺時の伊藤博文が受けた銃撃と、

安重根が居た場所が一致しないようです。

伊藤博文の傷痕は、高い所からの発砲

によるものだそうです。

 

それどころか、安重根の拳銃の弾と、

伊藤博文の遺体に残った銃弾が違う。

そんな話も出ているそうですね。

 

これが本当ならば、

伊藤博文を殺害した真犯人がいる

ことになります。

 

怪しいと言われているのはロシア。

伊藤博文は、ロシア蔵相ココツェフとの

会談の為にハルビン駅に行き、

 

そのココツェフ達と握手を交わしている、

その時を狙ったかの如く銃撃されました。

 

伊藤博文はロシアとの不戦を主張。

しかし、結局は日英同盟が結ばれた為、

日露戦争が勃発します。

 

戦争時は講和を進め、ポーツマス条約の

きっかけをつくりますが、

返ってロシアを不利な立場にしました。

 

伊藤博文はロシアから見ると、

裏切り者のような存在だったのです。

 

真相は分からないままですが、

伊藤博文暗殺の真犯人がいるならば、

暗殺者である安重根も利用された立場、

つまり被害者と言えるのかも知れません。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。