【凄まじい策、大政奉還-江戸時代ネタ】

江戸時代




 

【凄まじい策、大政奉還-江戸時代ネタ】

 

 

どうも、野本です。

今回は、教科書の発展内容(?)です。

 

授業など、教える際の一つの切り口

として考えてもらえると幸いです。

 

では、今回もお付き合い下さい<(_ _)>

 

 

〇大政奉還の狙いとは

 

時は1867年、江戸幕府は遂に

政権を朝廷に返上します。大政奉還です。

 

しかし、この大政奉還。

何か、江戸幕府が政権の維持を諦めた

かのように教科書には書かれています。

本当にそうなのでしょうか?

 

ちなみに、教科書の記述はこうです。

 

「15代将軍徳川慶喜は、幕府だけで

政治を行うことは難しくなったと考え、

新しい政権の中で幕府勢力の地位を

確保しようとして、1867年、

天皇に政権の返上を申し出ました。」

(『中学生の歴史』帝国書院p.153)

 

ポイントは、この結果どうなったかです。

 

王政復古の大号令が出るまで、

徳川慶喜が政治を行っていました(笑)

 

と言うのも、話は単純です。

 

俗に言う新政府側は、戦う準備は

していましたが、

政治を執る準備は出来ていません。

 

そして、

倒幕派の藩以外を指揮していたのは、

何を隠そう江戸幕府です。

徳川家に忠誠を尽くす大名の方が、

圧倒的に多かったのです。

 

と言うことは、

結局、徳川慶喜が政治を執るのが

一番良いということになりますね。

 

実際に、徳川慶喜に「政権委任の勅命」

が出され、大政奉還の後も日本を統治

していました。

 

これは、

完全に徳川慶喜の読み通りでした。

薩長側に、少なくとも現段階では、

国をまとめるだけの力が無いことを

分かっていたのです。

 

 

〇薩長側の反撃!王政復古の大号令

 

それを壊したのは、王政復古の大号令。

 

朝廷が大政奉還を受け入れたはずですが、

今度は薩長側が天皇に働き掛けました。

 

その中で、

天皇が直接政治を執ることを宣言させ、

大政奉還を無効にしようとしたのです。

 

これは、大政奉還を無視して

新たな政権樹立を目指すものですから、

言ってみればクーデターです。

 

この時、強制的に決定したことは、

徳川慶喜が官職を辞任することと、

天領の半分を朝廷に返すことでした。

 

徳川慶喜は、この無理な要求を

飲むわけにはいきません。

 

こうして、戊辰戦争が勃発します。

 

いかがでしょうか。

今回は、実際の大政奉還の狙いを

お伝えしました。

 

あと、この部分は、

有名日本史講師の金谷俊一郎氏の教え方

がとても好きです。

(私の個人的意見ですが…)

 

薩長:これから、幕府を倒しに行くぞ!

 

薩長:あΣ( ̄ロ ̄lll) 幕府が無いっ!?

 

「幕府が無ければ、倒せない」

 

この語りが最高でした。

YouTubeの動画があったのですが、

残念ながら見付かりませんでした。

(消してしまったのでしょうか…。)

 

真似して生徒にやってみたら、

大ヒットでした。

やっぱり流石ですよね~。

 

最後に、

1867年 王政復古の大号令

(↑大政奉還でも可)

♪18(一夜)で67(空)しい徳川幕府

 

では、今回はこの辺で。

(苦労して手にした、徳川慶喜の写真。

アイキャッチ画像に顔しか映らない。)

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。