【日本が誇る上昇志向-黒船来航】

江戸時代




 

【日本が誇る上昇志向-黒船来航】

 

 

さて、遂に幕末にやって来ました。

 

今回は、幕末の発端となる黒船について

お話し出来ればと思います。

 

う~ん、ようやく黒船かぁ…。

先はまだまだ長いです。

 

今回も、

よろしければお付き合いください<(_ _)>

 

 

〇アメリカの目的

 

アメリカはどうして日本の開国を

求めたのでしょうか?

 

一つは、彼らが近海で捕鯨をしていて、

その寄港地としてですね。

 

もう一つあります。

 

当時、アメリカの人口は東部に集中

していました。

 

インドや中国からの物資も、

一度ヨーロッパを通って、

大西洋を渡って来ています。

 

ところが、

アメリカ西部のカリフォルニアで

金の鉱脈が発見されると、状況は一変。

 

人口が西部に移り、

物資をそちらにも届けなければならない

状況になりました。

 

正直、これだと非効率です。

では、どうすれば効率的に物資を送る

ことが出来ますか?

(考え中)

はい、いかがでしょうか。

単純ですね。『太平洋を通れば良い』。

それだけのことです。

という訳で、二つ目は、

 

アジアとの貿易における中継地として、

日本が必要だったからです。

 

 

〇ペリーの航路の真意

 

ペリーが日本に来た時の航路については、

【ペリーを呼んだ人物-江戸時代ネタ】

をご覧下さい。

 

一応、ご説明しますと、

 

彼の出身地は、

アメリカバージニア州のノーフォーク

という、東部の沿岸にある軍港です。

 

ペリーは、ノーフォークからアフリカの

喜望峰に向かい、インド洋を通り、

シンガポールからマラッカ海峡を通って、

沖縄の周りを渡り浦賀に来航します。

 

これは、彼が元々いた場所が大西洋沿岸

ということにも由来しますが、

純粋に日本に来るだけであれば、

もう少し過程を短縮出来そうなものです。

 

実は、ここに狙いがあったのです。

 

その狙いとは、

『黒船を見せる』というものでした。

 

ペリーは、日本に来る途中、

入港した国の役人達を黒船に招待します。

 

黒船内の何処に連れて行くと思いますか?

 

それは、

『機関室』です。

 

すると、どうでしょう。

今まで見たことが無い巨大な鉄の塊が、

 

ガッチャンガッチャンガッチャン!!

 

大きな音を立て、

動いているではありませんか!?

 

これを見てしまった役人達は動揺。

カタカタカタ(((;゚;Д;゚;)))カタカタカタ

一瞬でアメリカとの力の差を

見せ付けられてしまいます。

 

先行を切って、威圧しておくことで、

後の外交の主導権を握った訳ですね。

 

 

〇黒船を造り上げた日本

 

あまり聞かない話かも知れませんが、

日本人も黒船に招待されています。

 

ペリー側にその時の記録が残っています。

〈ペリーの記録〉

その小人なる野蛮人達は、我が船に

やって来た。彼らは好戦的な民族である。

彼らは皆、腰に長い包丁を差し、

更に頭には全員ピストルをのせている。

(※刀とちょん髷のことです。)

いよいよショーの始まりだ。

文明国に野蛮人達が屈服する見世物の。

そして彼らは遂に機関室にやって来た。

 

日本人:おぉ…。

 

彼らは屈服するかと思いきや、嬉しそう

に紙と筆をとり、スケッチしだした。

 

米国人:何をやっているのですか?

 

日本人:スケッチだ!!

 

米国人:別の場所に案内しますよ。

 

日本人:いや、ここが重要だ。

このでっかい機械は何で動いているんだ?

 

米国人:え!?じょ、蒸気です…。

 

日本人:蒸気って何だ?

 

米国人:いや、蒸気っていうのは、

ヤカンでお湯を沸騰させると蓋が上に

あがる、あの力です。

 

日本人:ということは、何かを

燃やしてるんだろ?

 

米国人:はい。

 

日本人:何を燃やしてるんだ?

 

米国人:石炭です。

 

日本人:石炭て何だ?

 

米国人:石炭という、燃える石が

あるんです。

 

日本人:燃える石…?

そんなのがあるのか!?どこにあるんだ?

 

米国人:いや、世界中に結構ある

と思います。

 

日本人:日本にもあるか?

 

米国人:多分あると思います。

 

日本人:よしっ!!

 

と言い、石炭で動くとメモを取った。

いかがでしょうか。

この日本の上昇志向。ステキです。

 

日本人は、勤勉を美学としています。

努力を続ければ夢が叶う。

こういった発想が、日本を更に発展

させていく訳ですね。

 

ちなみに、これより数年後、

日本は小さいながらも黒船製造に成功

しています。

 

最後に、

1853年 黒船来航

♪1853(ござん)す、ペリーさん。

※一度、帰ってもらっていますからね。

 

1858年 日米修好通商条約

♪不平等な条約、1858(ん、)い。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。