【領事裁判権の狙い-江戸時代ネタ】

江戸時代




 

【領事裁判権の狙い-江戸時代ネタ】

 

 

どうも、野本です。

 

もう、10月も中盤戦です。

(別に戦っている訳ではないですが…。)

 

葉の色が変わり始め、紅葉が見られる

ようになりましたね。

 

こういう時こそ、何処か風情のある場所

に行ってみたいです。

 

はぁ…、そんな余裕が欲しいっス。

 

ってことで、

今回は、領事裁判権に関わる内容や、

処刑にまつわることをお話し出来れば

と思います。

 

 

〇何故、領事裁判権を?

 

何度も同じようなことを述べますが、

白人達は、我々のことを同じ人間とは

思っていませんでした。

 

野蛮なる小人(ペリー側の記録)

イエローモンキー(最も一般的な言い方)

ビースト(トルーマン)

 

中々、言ってくれますね(–#)

 

まあ、単純に言えば、野蛮な国だと

見られていた訳です。

 

しかし、そう見られてしまって

無理もない部分があります。

 

それは、「法律」です。

 

当然、今では酷い話ですが、

残虐刑や拷問がありましたから、

 

そんな国の裁判にかけられたくはない

ですよね。

 

斬首の刑、鞭打ち、石抱き…。

 

ちなみに、石抱きというのは、

三角形の木材を5本並べた上に正座させ、

重さ約50kgの石を膝の上に積み重ね

ていくというものです。

 

無実の罪であっても認めてしまいますね。

 

 

〇斬首の刑と言えば…

 

幕府代々の首斬り役人、山田浅右衛門を

ご存知ですか?

 

常に後継者となる子を4人育て、

最後にその子らで戦い、一番強かった子

を次の山田浅右衛門にしていました。

 

数字の4(四)と死を掛けていたようです。

 

最後の山田浅右衛門は明治も生きており、

新聞記者がインタビューしています。

 

斬った中で、覚えている人はいないか

聞いてみた所、

 

恨みが残りそうだから、名前は覚えない

ことにしていると、山田浅右衛門。

 

しかし、

一人だけ凄く立派に死んでいった人を

覚えていると答えています。

 

偶然ですが処刑した日も覚えていて、

それを元に新聞記者が調べました。

 

さて、誰のことだったと思いますか?

(考え中)

はい、いかがでしょうか。

山田浅右衛門の記憶に残っていたのは、

『吉田松陰』でした。

 

「ここに私の首が落ちるんですね。」

そう言った松陰は歌を書き、

堂々と死んでいったそうです。

 

いかがでしょうか。

 

大使館や米軍基地は治外法権で、

特に米兵が犯した犯罪については

時々問題になりますね。

 

そして、話は変わりますが、

遂に吉田松陰が登場しました。

 

吉田松陰については、

改めてお話し出来ればと思います。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。