【絵踏と鎖国の授業-江戸時代ネタ】

江戸時代




 

【絵踏と鎖国の授業-江戸時代ネタ】

 

 

どうも、野本です。

 

今回は、絵踏と鎖国についてです。

 

私の頃は、踏絵も絵踏も同じだった

のですが…。

(勝手に私が思い込んでいるだけ…?)

 

大事なことなんでしょうけど、

こんなところばかり変わりますね。

 

今回も、お付き合いください<(_ _)>

 

 

〇絵踏の始まり

 

キリスト教がスペイン・ポルトガルの

日本侵略に繋がることを恐れ、

1612年に禁教令が出されました。

 

絵踏は、1629年に導入されます。

「キリシタンを見つけ出すため。」は

記述問題頻出ですね。

 

ここは是非、生徒に聞いてみましょう。

 

「好きな子の写真を踏めるか?」と。

 

意外にも、

「踏めますよ。」と非情な回答が多いの

ですが…(゚д゚)!

 

もう少し突っ込んで聞いてみると、

「僕が愛しているのは写真や絵ではなく、

本人なので。」

という、イケメン回答をいただきました。

(中学生なのに、何言ってんだコイツ…。)

 

とまあ、そんなことはさておき、

絵踏の導入当初は踏めない人間が多く、

捕まって棄教するまで拷問を受けた人が

多かったようです。

 

しかし、次第に

「信仰は、自分の心で行えば良い。」と、

密かにキリスト教を信仰する人々が

多くなっていきました。

 

彼らを「隠れキリシタン」と言いますね。

正に、イケメン回答的発想な訳です。

 

 

鎖国で統制したいのは…

 

鎖国した理由として、

「貿易の利益と海外情報の独占のため。」

と答えを書かされることがあります。

 

このこと自体は間違いではないのですが、

 

実際には他に、

・当時の国内や国際情勢から、外国の

影響を受けない鎖国が有効だったこと

・ある物をコントロールするため

 

さて、突然ですが、

ある物とは一体何でしょう?

次の三つから選んで下さい。

 

①生糸

②金・銀

③火薬

(考え中)

さて、いかがでしょうか。

当時のことをきちんと理解していれば

選べるかと思います。

 

では、正解はぁ~

 

ジャジャン♪『③火薬』です🎯

(生糸も非常に貴重な物ですが…。)

 

一体、どうしてでしょうか。

 

もし、

日本のあちこちの港で貿易が行われ、

各地で火薬が手に入れば、

 

徳川幕府にとって、これ程厄介なことは

無いでしょう。

当時の戦いで鉄砲に勝る物はありません。

 

日本には火薬の材料に必要な硝石が無く、

火薬は白人から買っていましたから、

その経路を長崎の出島だけにする。

 

こうすることで、

各地の大名が大量の火薬を手にすること

を防ぐことが出来ます。

 

鎖国と言うと、

なんか日本が遅れたことをやっていた、

そんなイメージがありますし、

 

そんなニュアンスで教えている先生も

いらっしゃいます。

 

しかし、

一つ一つを紐解いて考えてみると、

案外、理に適った意図も隠されている

気がしませんか?

 

ちなみに、

出島の大きさは学校のグランド程度で、

形は扇形をしています。

(何故扇形かは諸説あります。)

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログをよんで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。