【福沢諭吉が恐れた男-江戸時代ネタ】
どうも、野本です。
今回は、福沢諭吉が恐れた男です。
その男は福沢諭吉と同門、適塾出身です。
誰か分かりますか~?
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(考え中)
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はい、いかがでしょうか。
正解はぁ~、ジャジャン♪『橋本左内』
でした~🎯
(生徒に聞いても出てきませんね。)
この橋本左内という人物ですが、
安政の大獄で処罰されてしまいます。
あの西郷隆盛の親友の一人で、
多くの偉人が一目置く程の人物でした。
(西郷隆盛は、橋本左内からの手紙を
ずっと大事に持っていたそうです。)
彼には、こんなエピソードがあります。
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彼らの学び舎である適塾は全寮制で、
成績の良い順に寝る場所のグレードが
高くなっていました。
福沢諭吉はその中のトップでしたが、
彼をグングンと追い上げてくる人物が
いました。
それが、橋本左内です。
福沢諭吉も、自分が負けるとしたら
橋本左内しかいないと思っていましたが、
突然、橋本左内の成績がストップ。
停滞してしまいました。
ライバルが気になる福沢諭吉。
すると、橋本左内は、
夜な夜なお酒の匂いをプンプンさせて
帰ってくるではありませんか。
皆が、「橋本左内は毎晩女を抱いて
酒を飲んでるんだ。」と思いました。
気になった福沢諭吉は、
橋本左内を尾行することにします。
辿り着いたのは橋の下でした。
(当時、橋の下では売春が行われました。)
福沢諭吉が「あいつ、やっぱり女を買う
つもりか?」と見ていると、
そこには浮浪者達が並んでいました。
売春なんてとんでもありません。
橋本左内は、貧しくて医者にかかれない、
そんな人々をタダで診ていたのです。
(お酒の匂いは、消毒のアルコールの匂い
だったのですね。)
次の日も、福沢諭吉は橋本左内を尾行。
橋本左内は、別の橋の下でも同じことを
していました。
それを見た瞬間、
福沢諭吉は己の浅はかさを思い知った
といいます。
いかがでしょうか。
橋本左内は自らの名を語らなかった為、
その事実が知られたのは、
福沢諭吉が自伝を出した時でした。
ただし、このお話しには問題があります。
お気付きの方もいらっしゃるかも
知れませんが、
橋本左内と福沢諭吉の適塾在籍期間が
重ならないんですよね(-_-;)
誰かの創作である可能性があります。
とは言っても、
橋本左内が凄い人物であることに
変わりはありません。
そのような人物だからこそ、
逸話が存在しているのかも知れません。
不確かなことを語りたくない方は、
ご注意下さいね。
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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