【吉田松陰の授業①-江戸時代ネタ】

江戸時代




 

【吉田松陰の授業①-江戸時代ネタ】

 

 

どうも、野本です。

 

さて、今回は吉田松陰。

幕末の代表的な人物です。

 

長くなるようでしたら、2回に分けて

投稿したいと思います。

 

話は変わりますが、授業は順調ですか?

 

「授業を上達させたい」ですとか、

「面白いネタはないか」など、

素晴らしい向上心をお持ちの方以外は

このブログなんて絶対見ません(笑)

 

ですから、いつもブログの終わりの文章

に書いているように、

このブログを真剣に読んで下さる方々を

私は尊敬しています。

 

お役に立っていれば幸いです。

 

 

〇黒船に乗り込もうとした

 

黒船を見た吉田松陰は、

「乗ろう!アメリカに連れていって

もらおう!」と考えました。

 

一人で小舟に乗り、黒船に向かう松陰。

 

しかし、その途中、

木材を縛っていた縄が解けてしまいます。

 

慌てた松陰は、着物の帯を代わりにして

再び舟をこぎますが、

それも解け、自分のフンドシを代わりに。

 

ようやく黒船にたどり着いた松陰は、

黒船に上っていきます。

 

「俺をアメリカに連れて行ってくれ!」

と叫んだは良いものの、

今の彼はどんな状態でしょうか?

 

上着を羽織っているものの、

フンドシはしていないので下半身丸出し。

 

突然現れた奴がそんな状態だったら、

ビックリし過ぎて時が止まりますね。

 

結局、松陰の計画は失敗。

当時、許可なく国を抜け出した者は

厳罰に処されました。

 

しかし、松陰が殺されたりしないように

働きかけた人物がいます。

ご存知でしょうか?

 

その人物は、ペリーです。

ペリーは松陰のことを有望な若者と捉え、

松陰の罪を軽くする為、働きかけました。

 

結果、松陰は死を免れましたが、

野山獄(のやまのごく)での終身刑に

処されます。

 

 

〇野山獄にて

 

終身刑になった吉田松陰。

彼は牢獄で何をしていたのでしょうか。

 

信じられないお話しですが、牢獄の中、

彼は正座して、授業を始めたのです。

 

ある日、その授業を聞いていた囚人が

問いました。

 

囚人:吉田さん、アンタの言っている

ことを聞いた。アンタ、中々良いことを

言っているよ。しかしだ、それが一体

何だって言うんだい?

俺達は終身刑の囚人さ。この牢獄からは

一生出られない。そんな俺達に

アンタの言っていることが、一体、

何の役に立つと言うんだい?

 

松陰は答えました。

 

松陰:確かに貴方のおっしゃる通りです。

私達は終身刑の囚人。生きてはここを

出られないでしょう。

しかし、私はこう思うのです。

良いか悪いかは別として、何か物事を、

知ってから死ぬのと知らずに死ぬのは

違うっ!!

 

囚人:おっ!?おう、そりゃ確かに…。

 

松陰の熱の籠った言葉に、

囚人は納得させられました。

 

その後、皆が松陰の授業を聞くように

なっていきます。

 

いかがでしょうか。

 

取り合えず、ここで一旦切っておきます。

これが、あの松下村塾です。

ここに、有名な長州藩士達が集まり、

松陰の授業を受けていたんですね。

 

観光のお話しになりますが、

東萩駅から、自転車をレンタル出来ます。

 

その自転車で、萩城下町を通ったり、

伊藤博文や木戸孝允、高杉晋作の家にも

行くことが出来ます。

私があまりに無計画過ぎるだけかも

知れませんが、

東萩駅は、中々行きづらかったです。

 

私は、新山口駅からバスに乗って

行きました。

 

それ以前にも山口県に行ったことが

あるのですが、

山口駅から鉄道で東萩駅に行こうとし、

まさかの暴風による運行停止(´Д⊂ヽ

 

2度目で松陰先生の下に辿り着きました。

 

あと、そこから一気に松江駅まで

行ったのですが、

東萩駅は鉄道の便数が少ないので、

注意が必要かと思います。

 

ただ、日本海の風景を見ながらの

鉄道旅行は、風情がありました。

景色をボーッと眺めるのが好きな方は、

気に入っていただけるかも知れません。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。