【板垣よ、言ったのか!-明治時代ネタ】

明治時代




 

【板垣よ、言ったのか!-明治時代ネタ】

 

 

「板垣死すとも〇〇は死せず!」

 

どうも、野本です。

 

これ、非常に有名な言葉です。

空欄に当てはまる言葉、もちろんご存知

ですね?

(思い出し中)

これは聞くまでもありません。

『自由』ですね。

(生徒はテキトーに答えてくれます。)

 

板垣退助が暴漢に襲われ、

刺された時、板垣自ら立ち上がり、

そう言い切った。

 

これが本当ならカッコいいですね。

 

でも、これは本当なのでしょうか?

普通に考えて、刺された痛みは尋常では

ありません。

 

これが本当なら、

板垣退助は超人ということになります。

 

ということで、

「板垣死すとも自由は死せず」の名言は

本人が言ったのか、

このことをお話し出来ればと思います。

 

 

〇言ったのは内藤魯一(ろいち)

 

いきなり核心に迫ってしまいますが、

刺された痛みは尋常ではありません。

 

よって名言は、板垣本人ではなく、

同じ自由党員の内藤魯一が言った

という説があります。

 

こんな感じでしょうか。

内藤:いやぁ~、板垣さん。

今日の演説も痺れましたよ~。

 

内藤:って、あれ!?板垣さん。

何寝転んでるんですか?

 

内藤:いっ!?板垣さん…。

板垣さぁぁぁぁぁぁぁん!!⚡🌀

 

内藤:はっ!?なんだ、お前は!!

お前がまさか…。おのれ暴漢めっ!

板垣死すとも自由は死せずじゃ!!

勝手に板垣退助を殺してしまっている

のが気になる所ですが…。

 

しかし、

これを刺された本人が言ったとなれば、

そのインパクトは大きいでしょう。

現在に残されている位の名言ですからね。

 

よって、板垣退助が言った言葉であると

世の中に報道した。

 

自由民権運動の勢いに更に拍車をかけた

って訳ですね。

 

一応、内藤魯一は記者の前で、

「俺が言ったのだが、総理(板垣)が言った

ことにした方が光ってくるから。」

と語っているそうです。

 

 

〇でもやっぱり本人が…

 

その反面、板垣本人が事件当時、

類似した言葉を残しているという記録

も見付かっているみたいです。

 

政府の密偵の報告書には、

板垣が出血しながら、

「吾死するとも自由は死せん」と言った

ことが記されています。

 

そのような記録は他にもあるようです。

 

このことから、

板垣退助本人が類似した言葉を言ってた

のは間違い無いでしょう。

 

もしかすると、自由党員の合言葉だった

のかも知れませんね。

 

だから、危機的状況の時、

内藤魯一は真っ先にそう叫んだ。

 

初めは「板垣死すとも…」ではなく、

「吾死するとも…」だった。

 

しかし、事件が起きて、

「吾」を「板垣」に換えて発表した。

 

こうすることで、この危機的状況を、

上手く好機へと変貌させた。

 

勝手な憶測ですが、

自由民権運動という一大ムーブメントを

起こした板垣退助ならやりそうですね。

 

西郷隆盛派として征韓論争に敗れ、

共に下野した板垣退助。

 

「血を流すより自由民権の思想を普及し、

民衆の力で真の改革を進めるべき。」

彼はそう説きました。

 

時代に突き刺さったのが彼の方だった

ことは言うまでもありません。

 

いかがでしょうか。

 

自由党と言えば、

「民権数え歌」なども有名ですね。

作詞者は植木枝盛です。

YouTubeで検索すれば視聴出来ます。

(川上音二郎の「オッペケペ節」も

視聴可能ですよ。)

 

固く説くよりも音楽の力を使った方が、

耳に残りますよね。

板垣退助はそこに目を付け、

芸者に歌わせ、流行らせました。

 

この持ち前のプロデュース力で、

自由民権の思想を全国に広げたのです。

 

最後に、

1881年 自由党の結成

♪1881(イチハヤイ)自由党

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。