【ヒトラーの最期-昭和時代ネタ】

昭和時代




 

【ヒトラーの最期-昭和時代ネタ】

 

 

3月も終わりですね。

日も暖かくなり、日照時間も長くなって

きました。

 

少し前までは、6時くらいになったら

真っ暗だったんですけどね。

まだうっすらと明るいです。

 

1年あっと言う間だったなぁ~、って、

大晦日にも似たようなこと思っている

んですが…(;^_^A

 

年をとったからなのか、

そんなことを考えるようになりました。

 

さて、話を本題に移したいのですが、

あなたは「オーヴァーロード作戦」を

ご存知でしょうか。

 

私のブログを読んでいるということは、

スーパー勉強熱心な方だと思いますので、

私なんかより詳しいかも知れませんね。

 

兎にも角にも、今回は、ヒトラーの最期

をお話したいと思います。

よろしければお付き合い下さい<(_ _)>

 

 

〇オーヴァーロード作戦

オーヴァーロード作戦とは、

有名なノルマンディー上陸作戦を含む、

パリ奪還までの全体の作戦名です。

 

上の図からも分かるように、

連合国がヨーロッパに大量の兵力を注ぎ、

上陸すると共にパリを奪還。

 

最終的には、ドイツを挟み撃ちにして

倒そうという狙いがあります。

 

その兵隊動員数はざっと200万人超え。

相当大規模な作戦でした。

 

第二次世界大戦の全体像を表す動画を

リンクしておきます。

 

 

〇愛人と共に…

 

連合国の作戦が成功し、

ドイツの敗戦は濃厚になりました。

 

ヒトラーは地下壕に居住していましたが、

1945年4月30日、地下壕の一室で

拳銃を使い自殺します。

 

その時、愛人だったエヴァ・ブラウンも

共に自殺しました。

愛人というか、二人は自殺の前日である

4月29日、正式に結婚しています。

地下室で静かに式が挙げられました。

 

「可哀そうなアドルフ、彼は世界中に

裏切られたけれど、私だけはそばにいて

あげたい。」

そんな彼女の言葉が有名です。

 

ヒトラーはエヴァ・ブラウンに惹かれ、

断られても何度もデートに誘っていた

そうです。

 

写真だと帽子の影で良く見えませんが、

エヴァ・ブラウンと一緒に笑顔で立つ、

そんなヒトラーの姿がうかがえます。

 

 

〇自殺の背景

 

話は少し変わりますが、

同盟国のイタリアはどのような状況

だったのでしょう。

 

イタリアは、1943年に早々と連合国

に降伏しています。

 

その後、レジスタンス(パルチザン)

によってムッソリーニは捕まり、

彼の愛人と共に処刑されてしまいました。

 

処刑されたムッソリーニとその愛人の

遺体はミラノの広場に放置。

殴る蹴るの暴行を受けた後、逆さ吊りに

されます。

 

それが1945年4月29日。

ヒトラーが自殺する前日の出来事です。

 

ということは、

ヒトラーがエヴァ・ブラウンと自殺した

その背景には、

 

捕まって晒し者にされたくはなかった

ことが挙げられるかも知れません。

 

ネット上で検索すれば、

原形をとどめないムッソリーニの遺体の

画像が出てきます。

 

なんと言うか、

人間の恨みってここまで凄まじいんだ、

そんな風にしか表現が出来ない画像です。

 

ですから、晒し者にされるくらいなら、

愛する人間と永遠の世界へ逝こう。

ヒトラーはそう考えたのかも知れません。

 

いかがでしょうか。

 

極悪人として知られるヒトラーですが、

所々で彼の人間味も感じられます。

 

まあ、日本人がそもそも判官贔屓なので、

私もその一面があるのでしょう。

 

ただ、彼のような人物が何故誕生したか、

私達はそこを学ばなければならないのだ

と思います。

 

個人的な意見なのかも知れませんが、

第一次世界大戦後のイギリスとフランス

がドイツに対してやり過ぎ。

なんだかそんな風に考えてしまいます。

 

まあ、ヒトラー逃亡説というのもあり、

それが本当だったなら、

いちいちそんなこと考えさせやがって

ヽ(`Д´)ノって思っちゃいますけどね。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。