【昭和天皇の思いと東条-昭和時代ネタ】

昭和時代




 

【昭和天皇の思いと東条-昭和時代ネタ】

 

 

それは突然、私の下に送られてきました。

 

❝あなたはオンラインで最も役に立つ

サイト…❞

 

おおっ!!

 

❝私はこのウェブサイトを推薦する

つもりです!❞

 

おおっ!!何か照れるな~。

❝バイアグライギリスジェネリック…❞

 

ナンでっ(゜Д゜)

 

どうも、野本です。

これは、スパムとして届いたメッセージ。

 

以前もちょっとしたネタに使いましたが、

今、スパムで多いのがバイアグラネタ。

きっと流行りなんですね。

 

そんなことはさておき、

授業のネタはばっちりでしょうか。

 

何で今、授業のネタを主に投稿している

かと言いますと、

自分がそれで苦労したからです。

 

インターネットや本、DVDなどで

めっちゃ勉強しまくっていましたが、

実際は中々そんな時間はありませんよね。

 

だけど私は、意味のないジョークなどで

ごまかす授業をしたくありませんでした。

教える中身が面白いのが一番ですよね。

 

今の時代、インターネットで検索すれば、

大体のことは分かるのですが、

 

インターネットの多くの内容って、

文章が正直長すぎるじゃないですか。

 

何故かというと、勿論、投稿者がとても

詳しいというのもあるかも知れません。

しかし、ネット上で上位検索される為

っていうのもあるんですよね。

 

多分、文章を読んでいる内に、

「あ💧これは、ネタには無理だな…。」

って思ってしまうのではないでしょうか。

私がそうでした。

 

ですから私は、

文章でも授業の雰囲気を出しつつ、

分かり易く伝えることを心掛けています。

 

短く簡潔で、それでいて詳しい。

これで伝わるなら、それが一番ですよね。

 

バイアグラの宣伝ではないですが、

あなたのお役に立てていれば幸いです。

 

さて、本題に入りましょう。

今回は、

大東亜戦争が始まる直前のお話です。

 

 

〇東条英機は戦争回避工作をしていた

 

当時の日本に対するアメリカの態度は、

明らかに挑発的でした。

 

対日石油輸出全面禁止や、

在米日本人が収容所に連行されるなど、

酷い扱いを受けていたのです。

 

こういった出来事を元に、

政府は帝国国策遂行要領をまとめ上げ、

戦争への準備を進めようとしました。

 

しかし、どう足掻いてもアメリカには

勝てそうにありません。

この戦争は、陸軍の漠然とした希望の

ようなものでした。

 

並大抵の政治家では、この流れを抑える

ことは出来ません。

 

ここで、昭和天皇は戦争に突入すること

を回避しようとします。

 

天皇であっても抑えるのは困難な状況。

そんな中、内大臣だった木戸幸一が

天皇に進言します。

(木戸幸一は木戸孝允の孫です。)

 

木戸:東条英機を内閣総理大臣にしては

いかがでしょう。

天皇:何故だ!?

 

木戸:東条に戦争を回避するよう伝え、

彼に軍部を抑えさせるのです。

 

この進言を聞き入れた昭和天皇。

そして、内閣総理大臣になった東条英機。

 

昭和天皇は東条を呼び、

すぐさま彼にこう伝えました。

 

天皇:今の心境を和歌にして託そう。

私は、明治天皇が詠んだこの歌が好きだ。

今の私の心境だよ。

 

四方(よも)の海 みなはらからと

思う世に など波風の 立ちさわぐらん

(四方の海にある国々は皆兄弟姉妹と

思う世に、なぜ波風が騒ぎ立てるの

であろう)

 

東条は「どういう意味ですか?」

と聞き返しますが、

 

再び天皇は、

「今の心境を和歌にして託す。」と言い、

もう一度歌いました。

 

そして、

東条は天皇が戦争反対であることを

理解します。

 

天皇の意向を知った東条英機は、

戦争を避ける為に手を尽くしました。

 

 

〇ハル・ノートの解釈

 

戦争を回避しようとした日本。

ですが、それに対して、

アメリカは戦争をしたくてしょうが

ありませんでした。

 

何故ならば、

ドイツがヨーロッパの大部分を制圧。

このままだと、イギリスも落ち、

遂にはアフリカも制圧されてしまう。

 

そうなってしまえば、アメリカと言えど、

ドイツに敵わなくなってしまいます。

 

しかし、アメリカは戦争が出来ません。

何故ならば、大統領F・ルーズベルトは、

「絶対に戦争をしない」ことを公約に

していたのです。

 

わざとドイツ潜水艦を攻撃するなど、

挑発行為を繰り返したのですが、、、

頭の良いヒトラーは挑発に応じません。

 

では、どうすれば戦争が出来るか、

アメリカは考えました。

 

そして、答えは「日本」にありました。

 

①日本に無理難題を押し付ける。

②そして、日本から宣戦布告させる。

③同盟関係のドイツと戦争出来る。

 

こんな流れですね。

ですから、アメリカは日本の交渉には

全く応じませんでした。

 

有名なものにハル・ノートがあります。

ざっくり言うと、

日本の状況を満州事変以前に戻せ

というものです。

はっきり言って、この要求は無理でした。

 

外交努力により、平和解決を求めた日本。

しかし、その努力も空しく、

戦争へと突入していくことになります。

 

言い換えれば、アメリカの罠に、

日本はまんまと引っ掛かった訳ですが…。

 

いかがでしょうか。

 

しかし、このハル・ノート。

実は、まだまだ交渉の余地があった

のではないかと言われています。

 

交渉の余地があるにも関わらず、

ハル・ノートをアメリカによる一方的

なものと決めつけたのは大本営。

 

考えてみると当たり前かも知れませんが、

日本にも戦争推進派が存在したのですね。

ここら辺は、まだまだ歴史的検証が必要

なのだろうと思います。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。