【ベトナム戦争の傍らで-昭和時代ネタ】
髪を切りに、
10年位前からお付き合いのある美容師
が開いた美容院へ。
↑本来、行くガラではないんですが…。
美容師:野本さん、今日はどうしますか?
野本:そう言えば、いつから来てません
でしたっけ?
美容師:今年の1月からですね。
野本:あれ!?今、6月だよな…(-_-;)
…普通、髪切るのって、どれ位の頻度で
来るものですか?
美容師:男の人だと、月イチの人も
割と多いですよ。
女性で、1~2カ月位ですね。
野本:(-_-;)
…2カ月後位にまた来れるように、
長めでお願いします。
どうも、野本です。
そんなこんなで髪を切って来ました。
というか、あなたはどれ位の頻度で
髪を切りますか?
私はファッションとかに無頓着過ぎて、
普通が既に分かりません。
一応、宣言通り、2カ月後くらいには
髪を切りに行こうと思います^^
さて、本題に入ります。
勿論、ベトナム戦争はご存知ですね。
戦後世界で、アメリカが敗北した戦争
として有名です。
また、枯葉剤(ダイオキシン)を散布し、
奇形児を生み出すなど、非人道的な内容
も知られています。
そして、今回のお話ですが、
ベトナム戦争の傍ら、
他でも戦争が起きていたことをご存知
でしょうか。
ご存知の方は素晴らしいです。
『ラオス内戦』ですね。
ラオスは「隠れた戦場」と呼ばれました。
アメリカはベトナム戦争の傍ら、
ラオス内戦にも大きく関わっています。
という訳で、今回はラオス内戦について
お話出来ればと思います。
よろしければお付き合い下さい<(_ _)>
Contents
〇世界のトップ国を演じ…
あなたは、
オバマ大統領がラオスを訪問した際、
「この国との歴史を思えば、米国は
ラオスの回復を助ける道義的責任が
あると思う」と述べたのをご存知ですか。
ラオス内戦の惨状は、
当時、世界に知らされていませんでした。
ベトナム戦争で苦戦していたアメリカ。
その時、
お隣のラオスで内戦が起きていました。
事の発端は、社会主義国を目指す左派と、
ラオス王国政府との戦いですが、
いつの間にか、
東西冷戦の代理戦争へと発展しました。
アメリカは、
ラオス内戦を解決に導く方針を表明。
余裕がない状況にも関わらず、この判断。
アメリカの姿は、「世界のリーダー」、
「さすがアメリカ」などと称賛されます。
しかし、
これがラオスの悲劇の始まりでした。
〇内容の悲惨さたるや…
アメリカがラオスでとった行動は、
悲惨そのものでした。
アメリカは、ラオスに突貫工事で
軍事基地を建設。
山岳などの安定しない場所に多く建設し、
その為、爆撃機が装備していた爆弾は、
着陸時の衝撃で誘爆するのを防ぐ為、
基地に降りる際どこかに落とさなければ
なりませんでした。
次々とアメリカは爆弾を投下。
その投下した数は、ざっと2億6千万発。
ベトナム戦争での空爆と合わせ、
第二次世界大戦で使われた爆弾の数を
はるかに凌ぐ量です。
また、アメリカは空爆に際し、
クラスター爆弾を使用。
クラスター爆弾は不発率が高く、
3割は不発弾としてラオスに残りました。
その数、推定2億8800発。
見た目がおもちゃにも見えてしまう為、
子どもの被害が多いのです。
1964年以降、
不発弾の被害に遭った人々は約5万人。
そのうち2万9千人が死亡しています。
また、アメリカは戦争資金の確保の為、
黄金の三角地帯と言われる麻薬密造地帯
に目を付けました。
そこから、
大量の麻薬を自国へ持ち帰っています。
これが、世界のリーダーと称賛された、
アメリカの行いです。
1975年、内戦は終結。
しかし、その傷痕は現在も消えず、
残り続けています。
〇おわりに
いかがでしょうか。
残念ながら、今でもラオス内戦について、
詳しく述べられてはいません。
アメリカのCIAは、ラオス内戦によって、
隠蔽工作のノウハウを手にしたとも
言われています。
ベトナム戦争は知っていても、
ラオス内戦は知らない人が多いですから、
隠蔽ぶりがどれ程凄いかは分かりますね。
また、不発弾の除去は進められてますが、
終わりは見えていません。
今回は【ベトナム戦争の傍らで】と題し、
ラオス内戦についてお話しました。
誰も教えないから仕方ないですが、
知っている子どもはほぼいないです。
良かったら、教えてあげて下さいね^^
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
最近のコメント