【午前八時一五分は毎朝やってくる-昭和時代ネタ】
1945年8月6日、
日本にとって最悪の日が訪れます。
アメリカ軍による、
広島への原子爆弾投下です。
それだけではありません。
8月9日には長崎にも原子爆弾が
投下されました。
凄まじい爆風と衝撃波によって、
街は壊れ、数十万人単位の人々が殺され、
その後も原爆の後遺症で苦しむ人々を
生み出しました。
戦争とはそもそもが悪。
しかし、
ここまでやる必要があったのでしょうか。
どうも、野本です。
遂に原爆投下まできました。
ネタにするのは恐れ多いのですが、
そこは目を瞑っておきましょう。(´▽`*)
そもそも私には、
子どもの時に原爆投下のお話を聞いた
メモリーがありません。
とんでもない爆弾が広島と長崎に落ちた、
それ位です。
まあ、それだけで十分かも知れませんし、
そもそも私がただの馬鹿だったからかも
知れませんが…。
でも、
「あの先生が熱く語っていたな~。」
という記憶があると違ってきますよね。
やはり、語ったことは覚えていて欲しい。
その為にネタがある訳ですからね。
では、今回もお付き合い下さい<(_ _)>
ちなみに、
タイトルは何処からとったかというと、
石垣りん『挨拶』からです。
地域にもよりますが、国語で勉強します。
午前八時一五分は、
広島に原爆が投下された時間です。
〇原爆投下の真相
「原爆投下によって戦争終結が早まった」
というのがアメリカの主張ではあります。
しかし、それであれば広島への1発で
十分なはずです。
では、何故長崎にも投下されたのか?
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理由の1つ目は、人体実験です。
広島に投下された原爆は
「リトルボーイ」と呼ばれ、
長崎に投下された原爆は
「ファットマン」と呼ばれました。
原爆と言っても、
それぞれ違う種類のものだったのです。
それぞれの威力を確かめるための
人体実験として、日本が選ばれたのです。
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2つ目の理由は、ソ連への牽制です。
ちょうど、ソ連は日本との条約を破り、
満州で日本軍と戦っていました。
ソ連がこれ以上各地域を制圧し、
日本領土にまで攻め上るとすると、
太平洋を支配下に置きたい
アメリカにとっては、
非常に都合が悪かったのです。
よって、原爆を投下することで
戦争終結を更に促し、
ソ連が日本にまで攻め上ることを
食い止めたのです。
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更に述べるなら、
ドイツに対し原爆を投下する計画は
ありませんでした。
原爆を投下するなら日本。
これがアメリカの決定事項だったのです。
日本とドイツで何が違うのでしょう。
簡単に言ってしまうと「人種」ですね。
当時のアメリカ大統領トルーマンは、
我々日本人を「ビースト」と呼びました。
つまり、原爆投下すら人種差別の歴史
だったのです。
〇誕生したポーズ
さて、突然ですが、
ここで少し問題を出します。
この原爆投下後、あるポーズが
生まれました。
そのポーズとは、一体何でしょう?
①ガッツポーズ
②ピースサイン
③勝利のブイサイン
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(考え中)
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さて、分かりましたか?
①ガッツポーズだと思う人?
②ピースサインだと思う人?
③勝利のブイサインだと思う人?
これはですね、
何と、『②ピースサイン』なんです。
どういうことか?
実は、このピースサインを作った人は、
イギリスのチャーチルと言われています。
原爆投下後、チャーチルは記者の前で
得意のブイサインをします。
ブイサインと言うのは、当時から
あったのですね。
ところが、今回はこれだけでは
ありませんでした。
チャーチルは話しを続けます。
「これを、今後はピースサインと
呼ぶことにしよう。」と。
記者は尋ねます。
「どういうことですか?」
「まず1本目の原爆投下が広島、
2本目が長崎。この2つの原爆投下で
世界の平和が保たれたのだから、
この2本の指は平和の象徴、ピースだ。」
これ以降、ピースサインは世界中に
広まっていきました。
その2本の指は広島と長崎を表している、
これ程にも重大な意味を忘れ…。
いかがでしょうか。
今回の投稿は、大分以前にアップした
の内容を改良したものです。
プレゼン方法などにお困りでしたら、
是非そちらの方もご覧下さい<(_ _)>
音声を載せてみました。
少々カミカミなところもありますが、
よろしければ参考にして下さい。
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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