【人道を踏み外した蛮行!計画されていた三発目の原爆投下!?】
どうも、野本です。
突然ですが、原爆が二発投下された理由について、
あなたはご存知でしょうか?
…と考えるのは、どうやらお門違いだったようです。
原爆の三発目以降もしっかりと考えられていたのです。
ということは、
「早く戦争を終わらせるために原爆を投下した」と、
これも真っ赤な嘘であるということが分かりました。
今回は、そのお話をしていこうと思います。
よろしければお付き合い下さい<(_ _)>
Contents
〇原爆投下の振り返り
一応、振り返っておこうと思います。
なぜ日本に二発の原爆が投下されたのか?
それは、、、
➀種類の違う二発の原爆の威力を確かめたかった
➁南下してくるソ連へのけん制
そういったことは言われていますよね。
詳しくはこちらをご覧下さい<(_ _)>
これらのお話は本当でしょう。
ですが、これだけで終わらせてはいけなかったのです。
ハイドパーク覚書をご存知でしょうか?
この覚書は、1944年9月18日に
当時のアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズベルトと
イギリスの首相ウィンストン・チャーチル
との間で交わされた合意書です。
この覚書には、戦争が続く場合において、
さらなる原爆投下が検討されていたことが示されているのです。
〇ハイドパーク覚書
▼以下、覚書の一部です▼
when a “bomb” is finally available, it might perhaps, after mature consideration, be used against the Japanese, who should be warned that this bombardment will be repeated until they surrender.
和訳出来ますか?
「爆弾(原子爆弾)」がついに使用可能になったとき、熟考した上で、日本人に対して使用されるだろう。日本人が降伏するまで、この爆撃が繰り返されるであろうことを警告されるべきである。
これは、アメリカが日本に対して原爆を使用した意図が、
単なる威嚇や戦争の早期終結などではなく、
持続的な攻撃手段としても計画されていたことを示しています。
ちなみに、1944年9月はまだドイツは降伏していません。
ですが、原爆投下は日本人に対してと決まっているのでした。
もろJapaneseって書いていますからね。
戦争終結後も、アメリカは多くの原爆を製造し続け、
その後の冷戦時代における核兵器の開発と使用の可能性
を見据えた政策を構築していきました。
もし日本が早期に降伏しなければ、
さらに多くの都市が広島と長崎同様の運命を辿っていた
可能性があるのです。
〇おわりに
いかがでしょうか。
有名なマンハッタン計画の最高責任者である
グローヴス将軍の指令書には、
8月17日か18日に三発目の原爆投下が出来るよう準備せよ
と書かれていました。
つまり、三発目は計画されていたということです。
ハイドパーク覚書の存在は、原爆が戦争終結をもたらした
という単純な見解を揺るがすものです。
日本人としてこの事実を忘れてはいけないと思います。
もっと詳しく知りたい方は、ぜひこの本をお読み下さい。
当時に関する歴史認識が、
ワンランク以上アップすることは間違いありません。
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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