【この時代の農民達-江戸時代ネタ】

江戸時代




 

【この時代の農民達-江戸時代ネタ】

 

 

どうも、野本です。

 

私の住んでいる地域では、

神社で秋のお祭りが開かれる時期です。

 

これって、

他の地域でも同じなんですかね?

 

まあ、どちらにしろ、

行く余裕は無い気がしますが(-_-;)

 

ってか、いい年したオジサンが

行く場所でもない気がしますし(^_^;)

 

無邪気に型抜きとかやって、

キレイに出来たのに、店のおっちゃんに

ダメ出しされていた時が懐かしいぞ!

 

ってことで、

今回は、そんな話とは全く関係ない

江戸時代の農民達のお話です。

 

 

〇水呑百姓とは

 

さて、本百姓の下で働く水呑百姓。

 

ところで、不思議に思いませんか?

彼らは何故、水呑百姓ってゆーの?

 

答えは簡単。

『水しか飲めない程貧しいから』です。

(飽くまで一説に過ぎませんが…。)

 

しかし、この水呑百姓。

 

実は、そんなに貧しい生活を

していなかったというお話。

 

むしろ、かなり裕福な水呑百姓も

存在したようです。

 

そもそも、水呑百姓とは、

本百姓の下で働くアルバイトのような

存在でした。

 

彼らに年貢を納める義務はありません。

他に本業を持ち、農家の手伝いをして

お駄賃をもらっていました。

 

それは、商工業者や武家の次男,三男

などであり、そもそもが農民の身分では

無かったのです。

 

学校では、土地を持つ農民を本百姓、

持たないのを水呑百姓と習いますが、

これっておかしいですよね。

 

秀吉の太閤検地により、土地の耕作者が

記録されたのにも関わらず、これだと、

土地を持たない農民が最初からいること

になってしまいます。

 

「水呑百姓=小作人」だと思っている

生徒が結構多いです。

何を隠そう、私もそうでした(∀`*ゞ)テヘッ

 

話は少し変わりますが、

この時代の農民達はそんなに貧しかった

のでしょうか。

 

江戸時代に農業技術は大幅な進歩を遂げ、

江戸中期頃の耕地面積は、初期頃の二倍

にまで増えました。

 

豊かさは、当時の人々に教育の機会を

もたらします。

 

江戸時代の識字率は、大雑把ですが、

幕末で七割~九割だったそうです。

これは、世界的に見てもダントツに高い

数字です。

 

このことから、

少なくとも、農民の中にも教育を受ける

余裕がある者がいたと理解出来ます。

 

余裕が無かったら、寺子屋などに

通えるわけありません。

農民も文化的な生活を営んでいたのです。

 

有名な幕末維新志士達の中にも

農民出身の人物は多く、

武家以上に剣術修行に励んでいました。

 

以上のことなどから、

「農民=極貧」という考え方は、

必ずしも当てはまらないことが見えて

くるかと思います。

 

 

〇商品作物の栽培の影響

 

上のお話に続きますが、

新田開発の努力の結果、米は余るように。

 

これ以上米を作り過ぎても、

得することはありません。

突然ですが、君達は頭の良い農民です。

君達なら、次に何をしますか?

(考え中)

はい、いかがでしょうか。

そうです。違う作物を作れば良いんです。

(公民ではありませんが、需要と供給的な

要素があるところですよね。

余裕があれば考えさせたいです。)

 

この時、米以外に作られた作物を

商品作物と言い、農民達は商品作物の

栽培に着手するようになりました。

 

ところがどうでしょう。

農民が85%を占める時代です。

 

彼らが他の作物をそれぞれ作っても、

供給過多になってしまいます。

 

その為、農民達の間にも競争が生まれ、

商売に勝つ者と負けてしまう者が

出てきてしまいました。

 

商売に勝った者は、負けた者の土地を

買い取り、地主として成長しました。

 

また、負けた者は、土地を手放し、

地主の下で働く小作人となるか、

出稼ぎ労働者になっていきました。

 

いかがでしょうか。

 

こんなにも長々と説明出来ないかも

知れませんが、

 

さらっとでも、生徒の疑問を解消出来る

ように授業してあげたいですよね。

 

勉強の参考にしていただければ幸いです。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。