【江戸時代の授業ネタ-小ネタ③】
どうも、野本です。
江戸時代の小ネタ3回目です。
今回は、工場制手工業についてと、
大井川についてのお話です。
よろしければお付き合い下さい<(_ _)>
〇工場制手工業について
突然ですが、あなた達は商人です。
今までは、農民達に原材料を貸し与え、
加工したものを買い取る、
問屋制家内工業が主流でした。
しかし、いかがでしょうか?
この制度、面倒臭くはないですか?
農民達が各自で加工した商品を、
商人が買い取り、売らねばなりません。
商人にとって、これはかなりの手間です。
そこで問題です。
商人は、生産過程の効率化を図る為に
何をしたでしょうか?
問屋制家内工業の特徴と、面倒臭さから
考えてみましょう。
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(考え中)
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いかがですか。
この時の商人は、
工場を建て、そこに労働者を集めて
生産する方法を考え出しました。
これを、工場制手工業と言います。
(マニュファクチュアでも可。)
発表してくれる生徒が沢山いれば、
大喜利的な感じで聞いても良いし、
三択などにしても良いですね。
①まとめて農民達に持って来させる。
②工場を建て、そこに労働者を集める。
③バイトを雇い、商品を集めさせる。
みたいな感じですかね。
〇大井川の氾濫
五街道の説明の時に少し話す程度ですが、
大井川は少し変わっていますよね。
東海道を歩く上での難所の一つと
言われていました。
敢えて、氾濫させていた川です。
何故氾濫させていたかというと、
江戸や家康の隠居城だった駿府城の防衛
の為と言われています。
(当時の技術では、橋を架けることが
出来なかったとも言われています。)
架け橋や渡し船は禁止。
川越人足(かわごしにんそく)を使い、
料金を払って輿や肩車で渡りました。
料金は、川の水深で決まっていて、
また、輿で渡るには、四人分の料金が
必要でした。
ちなみに、
勝手に渡ると、罪に問われたそうです。
実際には、
渡し船を認めて欲しいという請願書が、
幕府に何度も出されていました。
橋は難しくても、渡し船は可能ですので。
しかし、幕府はこれを拒否しています。
何故かというと、
川越人足の人数はおよそ千人にも上り、
巨大な産業となっていたからです。
渡し船を認めることは、
この巨大産業を潰すことになります。
明治時代になり、ようやく大井川にも
橋が架けられました。
その長さは900mにもなりました。
いかがでしょうか。
現在、江戸の初期から中期にかけての
ネタを投稿していますが、
実際には、シャクシャインのお話など、
他にも出来事は沢山ありますよね。
このブログをお読みのあなたは、
何処を授業の山場にしていますか?
ネタ=山場では決してありませんが、
本当に大事な所はやはり、
インパクトを加えたいですよね(^^)
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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