【え!?邪馬台国は△△△△△-この国の謎に迫ります-】

原始~弥生




 

【え!?邪馬台国は△△△△△-この国の謎に迫ります-】

 

 

今回は、

前回の続きのような内容になります。

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【卑弥呼は△△△。その名前の謎に迫ります-弥生時代授業ネタ】

 

本題に入る前に少し…。

 

 

〇中国に使いを送ったそもそもの理由

 

日本では、弥生時代から中国に使いを

送るようになったわけですが、

 

何故、中国に使いを送ったのでしょうか?

 

理由は簡単です。

 

『当時、中国は最強だった』からです。

 

その世界最強の中国に認められることで、

絶大な権威にあやかれるわけですね。

 

要は、「虎の威を借る狐」ってわけです。

 

どんな感じかと言うと…、

 

隣の国と戦争をしていたとしましょう。

ボッコボコボコボコ~、

 

「痛ってぇ~、やったなあ!」

 

「でもな、聞いて驚けよっ!」

 

「僕の後ろにはなぁ~、」

 

「中国君がいるんだぜっ!!」

( ・´ー・`)ドヤァ…

 

こんな感じでしょうか。

 

しかし、この中国に追従するような

体勢を変えたのが、

 

我らが聖徳太子です。

 

 

〇え!?邪馬台国は△△△△△

 

魏志倭人伝は当て字で、

卑弥呼は「日巫女」であるならば、

 

邪馬台国は本当に「やまたいこく」と読むのでしょうか?

 

恐らくですが、これも違いますね。

 

どうやら、この時代の「台」という字は、

「ト」と読むことが出来るようです。

 

言葉が時代によって変化していくように、

漢字も読み方が少し変わるのです。

 

…と、いうことは、

「やまたいこく」ではなく、

 

『やまとこく』

 

こう読むのではないでしょうか。

 

邪馬台国と大和朝廷は、関係があるか

無いかで1つの議論がされていますが、

 

私は、邪馬台国が大和朝廷の前身なのだ

と思います。

 

邪馬台国が何処にあったのかは、

「九州説」「畿内説」がありますよね。

 

更に、もともと九州にあった邪馬台国が、

近畿に移動した「東遷説」もあります。

 

さて、この時代には日本の歴史書が

存在しない為、全ては謎ですが、

 

あなたは、どう思われますか?

 

およそ、奈良時代から続いているという

邪馬台国論争、

 

歴史上の全ての学者達を超え、

確かな答えを導き出すのは、

アナタかも知れません…。

 

よろしければ、前回の記事もご覧下さい。

<(_ _)><(_ _)><(_ _)>

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【卑弥呼は△△△。その名前の謎に迫ります-弥生時代授業ネタ】

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。