【独立×駐留×領土問題-昭和時代ネタ】

昭和時代




 

【独立×駐留×領土問題-昭和時代ネタ】

 

 

どうも、野本です。

なんだか、ハンター×ハンターのような

タイトルになりました。

(富樫先生、そろそろ復活して下さい!)

 

んで、今回のお話は

・日本の主権回復(独立)

・日本の国際社会復帰

・領土問題      こんなとこです。

 

流しで行く方が多いと思いますし、

個人的にも、面白いところではないよな

と思います。

 

大体どんなことを説明するのかな?

程度でご覧下さい<(_ _)>

 

 

〇日本の主権回復と米兵駐留

 

1949年、中華人民共和国の建国。

1950年、朝鮮戦争。

 

明らかに、東アジアで共産主義の勢力が

強くなってきました。

 

このまま日本にも共産主義の勢力が

押し寄せてくるとマズい。

アメリカはそう考えていました。

 

そこでアメリカが考えたのは、

速やかに日本の主権を回復させ、

アメリカ兵を日本に駐留させることで、

 

日本を西側陣営(アメリカ傘下)に

完全に組み込むというものでした。

 

即ち、

・サンフランシスコ平和条約

・日米安全保障条約

この二つの締結ですね。

 

これはアメリカにとって都合のいい話。

こんな時はこの方が絡んでいます。

はい、吉田茂元首相です。

こういうケースで、ことあるごとに登場。

 

しかし、何も日本に悪い影響を与えた

だけではありません。

 

これから、積極的なアメリカの経済援助

が始まりました。

 

当時は東西冷戦の真っ只中。

「西側陣営に入れば、日本みたく豊かな

国になれるんだよ。」

という、広告塔にしたかったのです。

 

 

〇国際社会復帰から領土問題へ

 

サンフランシスコ平和条約で

主権を回復した日本。

 

しかし、これだけでは国際社会に復帰

したとは言えません。

国際連合に加盟出来ていないのです。

 

それを拒否していたのはソ連。

まあ、サンフランシスコ平和条約の流れ

を考えると、

当たり前と言えば当り前ですが…。

 

そのソ連と日ソ共同宣言を結んで、

国際連合への加盟を果たします。

 

日ソ共同宣言を結べたのは、

ヤルタ協定を結んだスターリンの死と、

アメリカ偏重の吉田茂内閣の退陣

が大きいですね。

 

更に、ソ連が日本に近付くことで、

敵対するアメリカを牽制出来ることも

大きかったと思います。

 

また、ソ連との交渉課題だった、

北方領土問題も進展するはずでした。

 

しかし、、、

 

 

〇アメリカの妨害に会いました…

 

少なくとも、歯舞と色丹の2島は、

平和条約の締結後に返還される予定、

だったはずでした。

 

しかし、アメリカは、

日本とソ連が平和条約を締結することで、

距離が近づくことを恐れました。

 

そこで、アメリカは日本を脅迫します。

「北方領土の4島一括返還ではなく、

ソ連との2島返還に日本が応じれば、

アメリカの沖縄返還はあり得ない。」

 

これは、アメリカのダレス国務長官が

当時の重光葵外相に言った、

「ダレスの恫喝(どうかつ)」と言います。

 

当時、日本はアメリカに逆らえる状況

ではありませんでした(今もか?)。

これによって2島返還はかき消され、

現在も何の進展も無く北方領土問題が

続いているのです。

 

 

〇おわりに

 

いかがでしょうか。

 

戦後から、もう70年以上になります。

そこを起源に考えれば、北方領土問題も

70年が経ちました。

 

話しが逸れるかも知れませんが、

1997年、香港が中国に返還されます。

それが、戦後から約50年のお話です。

 

それもかなりの年月を経てはいますが、

未だに北方領土問題は進展していません。

これは少し疑問に感じますよね。

 

我が国の外交は、他国よりも劣っている

とでもいうのでしょうか…。

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。