【敗戦に向かう道-昭和時代ネタ】
大東亜戦争(太平洋戦争)の開戦時、
戦争の天才石原莞爾は、
「日本は戦争に負ける。」と言いました。
何故かを問うと、
「世界で一番大きな大陸のユーラシアと、
世界で一番大きな海の太平洋で、
同時に戦争をするなんて無謀過ぎる。」
と言ったそうです。
どうも、野本です。
石原莞爾の言葉が間違いかのように、
開戦当時の日本は連戦連勝でした。
しかし、それは日本が短期決戦に
持ち込もうとしていただけのこと。
結局、石原莞爾の言った通りになります。
今回は、日本が敗戦に向かっていく道を
お話したいと思います。
よろしければお付き合い下さい<(_ _)>
〇ミッドウェー海戦
日本の分岐点になったのは、
この有名なミッドウェー海戦です。
主力空母をアメリカ軍に潰されてしまい、
日本は空の主導権を奪われてしまいます。
この時代の戦いは、海ではなく既に空。
空母を潰されるということは、
その時点で日本に暗雲が立ち込めること
を意味していました。
何より、日本とアメリカの大きな差は、
情報戦の力量。
アメリカは、優れたレーダーや、
現代のコンピューターの源流にもなる、
巨大な暗号解読機を開発していました。
日本が何をやるのかは筒抜け状態。
これでは、どんなに勇猛果敢に攻撃を
仕掛けても敵う訳がありませんでした。
このミッドウェー海戦に敗れた後、
日本は各地で負けを繰り返しました。
〇サイパン玉砕
何故、サイパンを奪われてはいけないか。
それは、戦闘機で日本に空襲を仕掛け、
戻っていける距離にある島だからです。
昭和天皇は東条英機に激怒。
「東条、どういうことだ!サイパン島が
陥落したというではないか!?
サイパン島が陥落したということは、
日本の本土上空に米軍機がやって来る
ということではないのか!!」
事実、このサイパン玉砕をきっかけに、
日本本土空襲が激化。
1945年3月の、東京大空襲の悲劇へ
と繋がってしまいます。
サイパン玉砕後、東条内閣は退陣せざる
を得なかった訳ですが、
しかし、東条はこの時助かったようです。
実は、東条英機の暗殺が複数計画され、
このまま退陣しなければ、
間違いなく彼は殺されていました。
ここで話は変わりますが、
サイパン玉砕に関連するお話ならば、
バンザイクリフが有名です。
正式名称はプンタンサバネタという岬。
サイパン島にいた日本兵や民間人は
アメリカ兵に追い詰められ、
投降勧告を受けましたが、これを拒否。
80m下の海に身投げし、自決しました。
その際、「天皇陛下、万歳!」
「大日本帝国、万歳!」と両腕を上げて
身投げしたことが、その名の由来です。
自決した者は1万名にもなると言われ、
海は赤く染まり、死体の海と化しました。
現在は平和記念公園として整備され、
観光地の1つになっています。
慰霊碑に向かう道の途中、
戦跡として放置された戦車が見学可能で、
当時の様子をうかがうことが出来ます。
ミッドウェー海戦やサイパン玉砕。
これらの敗北を経て、日本は敗戦へと
追いやられていきます。
いかがでしょうか。
他にも、補給路が絶たれ、餓死者が後を
絶たなかったガダルカナル島(餓島)など、
この時期は悲惨な話が多いです。
しかし、
ご先祖達が戦ってくれていたからこそ、
現在の私達があるのだと思います。
日本人は、戦える人間がいなくなったと
聞くことがあります。
現在の日本の中で、
大切なものの為に覚悟を決められる、
そんな人間がどれ程いるだろうか。
深く考えるときりがありません。
ただ、こういった方達に恥じない生き方
をしているかは気になってしまいます。
あなたはどう思いますか?
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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