【金閣に思いを馳せる授業-室町時代ネタ】
最初の画像は、以前、私が京都に行った
時に撮ったものです(^^)
この前の銀閣の写真や、龍安寺の庭園も
そうです。
また行きたいなぁ~(*´▽`*)
突然ですが、金閣って何故金色なの?
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急に聞かれてもお困りかも知れませんが、
これは、仏教に由来があります。
金閣って、そもそも何なのかと言うと、
舎利殿(しゃりでん)です。
舎利殿というのは、釈迦の遺骨(遺灰)を
納める建物のことで、
(実際には遺骨と思われるものですが…)
そして、
その舎利を納める器は金色でなければならない
という決まりがあるのです。
ちなみに、実際に納められている三階は、
部屋の内側も金になっています。
ってことで、今回は、金閣について
お話したいと思います。
(余談ですが、金閣寺って書く生徒は
いませんか?いたらシバきましょう。)
〇義満の権威の象徴
この金閣、
よ~く見てみると、何故だか一階だけが
金色ではありません。
金閣は、当時では超珍しい三階建てに
なっていて、
一階は貴族の寝殿造、
二階は武士の武家造、
三階は中国風の禅宗様です。
余程、貴族が嫌いだったのでしょうか?
一説によると、お金をそこだけケチった
という話もあります。
話は変わりますが、
この構造には意味があるようで、
貴族の建築様式である寝殿造の上に武家造がある
ということは、
当時は武士の世の中でしたから、
その当時のヒエラルキーのようなものを
示しているのではないか。
そんな見方があります。
また、何故中国風である禅宗様が最上階
なのかというと、
義満は中国との朝貢貿易を再開した為、
(義満は、明の皇帝から日本国王の
称号を得ています。)
日本の武家政権の上には中国が存在する
ことになるからなんですね。
しかし、そこは義満。考えています。
更にその上には、あるものが乗ってます。
聖天子の出現と共に現れると言われる、
鳳凰です。
中国皇帝を表すのか、義満自身なのか、
想像の域を出ませんが、
恐らく、この鳳凰は、
南北朝を合一した義満自身を表す
と考えられています。
こう見てみると、
金閣は権威ある、格式の高い建造物
であることが改めて理解出来ます。
〇隣に建物があった
更に、金閣の隣には、もう一つ
二階建ての建物があったのではないか
と言われています。
そこに、
皇族や中国の使いなどを招いていた
のではないかと。
つまり迎賓館のような所ですね。
その二階と金閣の二階が、渡り廊下で
繋がっていたという話もあります。
権威の象徴である金閣と繋がり、
そこには上流層の人々が集まる。
その場を支配しているのは義満。
大事なのは、
義満が武力ではなく、権威を利用し、絶大な権力を誇っていた
ことです。
豊臣秀吉と同じような立場を執って
いたんですね。
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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