【日本精神を体現する偉人たちを紹介!!】

昭和時代




 

【日本精神を体現する偉人たちを紹介!!】

 

 

どうも、野本です。

 

今回は、

日本精神を体現する偉人たちと題し、

新渡戸稲造根本博(ねもとひろし)

重光葵(しげみつまもる)について、

 

簡単にご紹介したいと思います。

 

当時の日本の男たちが

どのような考え方や生き様を持っていて、

世の中で活躍していたのか、

 

そういうことを少しでも

感じていただけたらと思います。

 

また、

日本の偉人を紹介する記事であれば、

コチラもご覧くださると幸いです。

↓↓↓↓↓

【歴史の授業で語られるべき、日本の偉人を大公開!!】

 

今回もお付き合い下さい<(_ _)>

 

〇日本を救った一冊の本

 

突然ですが、

あなたは日露戦争を引き分けにした、

一冊の本をご存知でしょうか?

 

こう質問されて、出てきますか?

はい、いかがでしょうか?

 

新渡戸稲造『武士道』

ですね。

出典:ウィキメディア・コモンズ(1956年(昭和31年)12月31日までに公表)

 

日露戦争は一応、

日本が有利だったと言われていますが、

 

あと一年やっていれば、

マズいことになっていました。

 

国力としては

ロシアに分がありますからね。

 

そこで、当時のアメリカ大統領の

セオドア・ルーズベルト

が仲介し、停戦となりました。

 

まあ、賠償金がもらえなかった

ことが有名ですが、

それも仕方が無いことだと思います。

 

セオドア・ルーズベルトは、

この『武士道』を大絶賛しています。

 

自分の周りにいる人間全員に

読むよう命じたほどです。

 

ハーバード大学で金子堅太郎と同窓生

だったことや、

政治的な理由なども当然あると思います。

 

しかし、日本人に対する強いリスペクト

が無ければ、仲介なんてしませんよね。

 

日本人の道徳観念が書かれた一冊の本が、まさに日本を救っているのです。

 

いかがでしょうか。

 

日露戦争のお話の一つとして、

話題に取り上げると面白いと思います。

 

〇蔣介石を助けた偉大な日本人!

 

突然ですが、あなたは

根本博(ねもとひろし)

をご存知ですか?

出典:ウィキメディア・コモンズ(1956年(昭和31年)12月31日までに公表)

 

すでにネタバレですけど、一応ご紹介。

根本博は満蒙の南地域の司令官だった

人物です。

 

終戦後も侵攻を止めないソ連軍と徹底的に戦い、

在留邦人4万人を救いました。

 

彼は帰国する際、

日本兵と民間人に手を出さないよう、

蔣介石と交渉しています。

 

蔣介石はこれを受け入れ、

彼らは無事日本に帰国出来ました。

 

しかし、その蒋介石がピンチだと

いうことを知ると、

根本博は蒋介石を助けるために、台湾に密航しました。

 

奥さんには「ちょっと釣りに行ってくる。」

と言い残していたそうです。

 

しかし、「蒋介石を助けに来た。」

なんて言っても言葉が通じません。

 

彼は捕まってしまいますが、

偶然、交渉した当時の軍人と出会い、

助かりました。

 

根本博は、日本式の軍隊の訓練を

国民党軍に叩き込み、

 

なんとなんとっ!

共産党軍を追い払ってしまいます。

 

彼は帰宅の際、

飛行機で帰ったそうですが、

 

途中で釣り竿を一つ買い、

奥さんには「一匹も釣れなかった。」

と言ったそうです。

 

そして一連のことについては、

何も話しませんでした。

 

いかがでしょうか。

 

とても面白い人物ですよね。

奥さん的にはとてもしんどい思いを

されたのではないかと思いますが…。

 

日本と台湾との関係の背景には、

このようなお話もあるのです。

 

余裕があれば、

是非、子ども達に教えてあげて下さい^^

 

〇重光葵の果てしない精神力!!

 

あなたは、

重光葵(しげみつまもる)

をご存知でしょうか?

出典:ウィキメディア・コモンズ(1956年(昭和31年)12月31日までに公表)

 

大東亜戦争終結の際の、

降伏文書に調印した人物です。

 

戦後、米軍の軍政を敷こうとした

マッカーサーに直談判し、

日本を守った人物でもあります。

 

この重光葵ですが、右脚がありません。

(↓右脚は義足です。)

出典:ウィキメディア・コモンズ(1956年(昭和31年)12月31日までに公表)

 

一体、どうしたことでしょう!?

 

それは、彼が上海にいた時、

国歌斉唱の際に暴漢が襲いかかってきて、

手りゅう弾を投げつけてきたのですが、

 

彼は避けることなく、

国歌斉唱しているのだからとそのまま歌っていたのです。

 

彼だけではなく、

その場にいた全員が逃げませんでした。

 

いかがでしょうか。

普通、逃げますよね(笑)

 

しかし、皆逃げなかったんです。

手りゅう弾程度は怖くなかったの

でしょうか。

 

良いか悪いかは別として、

これが当時の人々の精神力です。

 

簡単には動じない。

そういった気概は見習いたいと、

そう思います。

 

〇おわりに

 

いかがでしょうか。

 

今回は、

根本博と重光葵、そして新渡戸稲造

について簡単にご紹介致しました。

 

メルマガで配信したネタなのですが、

ブログでも投稿してみました。

 

授業的には日露戦争のポーツマス条約、

戦後の勉強の時、

直ぐにお話するのが良いと思います。

 

よろしければ、ぜひ生徒たちに

語ってあげてください^^

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。