【聖女信仰のワナ-社会の扉】
どうも、野本です。
さて、上の人物が誰かご存知ですか?
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(考え中)
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余裕ですね。
アウンサンスー・チー氏です。
ミャンマーの軍事政権から、
民主化を果たすために活躍した人物
として知られています。
しかし、何だか彼女、
日本で報道される人物像とは
少し違った側面をお持ちな様子…。
今回は、そのお話をしましょう。
まず、彼女の父親は
アウンサン将軍と言い、
ビルマ(現ミャンマー)建国の父と
言われる独立運動家です。
ただ、スー・チー氏が3歳の頃、
彼は殺されてしまいます。
しばらく後、彼女はイギリスへ留学。
殆ど母国に帰ることなく、
イギリスで暮らしていました。
しかし、
ミャンマーの反政府運動の動きが
高まっていた1980年代、
彼女の母が危篤状態であることも
重なり、帰国します。
これをきっかけに、そのまま
民主化運動を推進していきました。
政府から厳しい弾圧を受け、
自宅軟禁下に置かれもしましたが、
それでも、
彼女は粘り強くデモを繰り返しました。
その姿が世界のマスメディア
に取り上げられ状況が一転、
ミャンマーは軍事政権から解放されたのです。
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というのが、普通のお話。
が、しかし、しかしですよ、
ビルマってもともと、イギリスの植民地
だったような…。
そのイギリスでかなりの時間を過ごした
人物が、民主化を推進するって…。
ぶっちゃけ、
この構図を本当に簡単に表すと、
イギリス VS 軍事政権
のような感じになるんですよね…。
アウンサン将軍も、事情はありますが
イギリス寄りの人物ですし。
その娘がイギリスとつながっていても、
何も不思議ではありません。
日本とアウンサン将軍との関係の記事は、
コチラをご覧下さい<(_ _)>
↓↓↓↓↓
話は少し変わりますが、
彼女は、イギリスで結婚しています。
その夫が、軟禁されている妻に会いたいと
ミャンマーに入国許可を申し出ます。
ただ、当時の政府は入国を拒否。
夫はガンでそのまま亡くなりました。
スー・チー氏の半生が描かれた映画で、
このことが衝撃的に表現されています。
しかし、実際はその当時、
彼女はミャンマーで他の男性とお付き合いしていたそうです…。
(出た!アホな生徒が大好物のネタ!!)
しかも、そのイギリス人の夫と言うのは
学者で知られていたようですが、
イギリスのスパイだったようです。
当時のミャンマー政府は、
スー・チー氏がイギリスに行くことは
許可しているようですよ。
でも、自分の意志で行きませんでした…。
また、自宅軟禁と言うと
何か恐ろしいイメージがありますが、
彼女が軟禁されていたのは、
イギリス・アメリカ大使館のすぐ側にある
大豪邸だったようです。
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さて、どうでしょうか?
まあ、
世間一般に出ている情報と実際とでは、
随分と話がズレていますよね。
スー・チー氏自身だって、
この一連の動きの中に母国を思う、
正義というような
気持ちがあるのかもしれません。
しかし、もしこれが
イギリスの狙い通りだったとしたら、
その目的は一体何なのでしょうか?
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(考え中)
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ズバリ!
資源ではないかと言われています。
現在、ミャンマーには
欧米の資源メジャーが入り込み、
その他にも外国企業が進出しています。
そのおこぼれを貰い、
ミャンマー自体も経済発展が促される
可能性は大いにあるかと思いますが、
その一連の流れの中に、
強大な力を持った何かが存在している。
そう考えると、
少し恐ろしい感じがしてしまいます。
今回は、
授業のネタとしては使いずらいですね。
(^_^;)
「東南アジア」で少し話せるかも…。
では、今回はこの辺で。
このブログを読んで下さる方々に
最大の敬意を込めて。
あなたの生徒が輝く授業を
最大限していきましょう。
ありがとうございました。
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