【教育とは何であろうか?ちょっと考えてみました】

教育活動や学びから感じる日本精神




 

【教育とは何であろうか?ちょっと考えてみました】

 

 

どうも、野本です。

メルマガで配信した内容をブログにも

載せてみます。

 

よろしければご覧下さい<(_ _)>

 

〇「学ぶ」の重要な意味をご存知ですか?

 

あなたは、「学ぶ」とは
どのようなことだと把握されていますか?、、、

まあ、何となく理解はしているかも
知れませんね。

「学ぶ」の意味、
それは、「学ぶ」の語源にあります。

「学ぶ」とは、「まねぶ」の言葉を
変えたものです。

つまり、人に教えられたことや
本に書いてあることを、
そのまま覚えることを指します。

これは、「記憶力」と言い換えても
良いものですね。

まとめると、
「学ぶ」=「記憶力」ということです。

よって、「学ぶ力が高い」ことは、
「記憶力が良い」ことに繋がります。

学ぶ力は個人に必要な能力です。
そして、それは記憶力と密接な関係が
あるのです。

その観点から見ると、
暗記というものが必ずしも悪い
ということにはなりません。

バランスを欠いた教育は
良くないと思いますが、

もう一度、教育とは何なのかを
考えてみる必要がありそうです。

 

〇「・・・教育」が創造力を奪った!

 

創造力を身につけるために、
何が必要かご存知でしょうか?

現在の教育では、創造力を奪うかのような
対応がされていました、、、

あなたは、創造力が何から生まれるか、
ご存知でしょうか?

まあ、これは単に私を含む一部の人間が
思っているだけかも知れませんが、

創造力を生むには、
かなりの量の知識が必要と考えます。

考えてみてください。

ある分野において
それに関する知識も何もなく、

新しい何かを生み出すことが
出来るでしょうか?

幼稚園児や小学生がノーベル賞ものの
大発見をすることが出来るでしょうか?

極論になってしまいましたが、
新しいものを生み出していくには、
それ相応の知識量が必須なのです。

ですから、まずは学ぶ力を身につけ
なければなりません。

繰り返しになりますが、
それ相応の知識を学んで初めて、
新しいものを生み出せるからです。

ということは、「ゆとり教育」は
考える力を育まないどころか、
創造力を奪うことになります。

暗記教育からの脱却や、
生きる力を身につけるために
進められた「ゆとり教育」。

子どもたちに想像性を育むことを
目的としていましたが、

それ程機能していないために、
すでに方向転換しています。

バランスの問題なのだと思いますが、
何も、暗記することが悪ではないと思います。

暗記し、記憶することが、
子どもたちに自信をもたらす事例も
たくさんあるのです。

何より、知識を持っていないと、
新しい何かを生み出すことが
出来ません。

拷問のように無理させたいわけでは
ありませんが、

子どもの頃は可能な限り、
「学ぶ力=記憶力」を鍛えておくべきだと
思います。

そうでなければ、
国家を担う存在を育成していけません。

あなたはどうお考えですか?

 

〇おわりに

 

いかがでしょうか。

 

最近、教育について考えることが

多くなりました。

年、とったんですね( ノД`)シクシク…

 

まあ、ずっと教育に関する仕事を

し続けてきたのもあるでしょうが。

 

以前にも増して、勉強が出来ない子、

小学生の段階でドロップアウトしてしまう

子が多くなったように思います。

 

もちろん、発達障害など、

脳の特性のお話なども絡んでいるでしょう。

 

しかし、それが全てとは思いません。

例えばですが、ADHD(注意欠陥・多動性障害)

であっても、

勉強が全く無理というわけではありません。

 

むしろ、勉強にのめり込んでとても成績が良い

子もいますし、

成功者と呼ばれる人物も多くいます。

 

勉強が無理なのは、学習障害が絡む子です。

この子たちは、ある特定の勉強では

不利になってしまいます。

 

千差万別と言えば

それだけになってしまいますが、

 

多くの子はやらないだけで、

ちょっとやってダメだったら諦める、

これが習慣化しているように思います。

 

今回の内容をまとめてみると、

教育は子どもたちの能力の幅を広げる

ために行うものだと理解できます。

 

少なくとも、

これが教育の意義の一つだと思います。

 

覚えるのが困難な子や、

勉強が苦手な子も当然います。

 

しかし、そんな子に対しても

可能な限りをしてあげることで、

能力を極限まで伸ばす試は必要です。

 

むしろ、

間違ってもやってはいけないのは、

 

運動会で

横一線でゴールインするかのような、

悪平等極まりない行いです。

 

どの子にも優れた部分があります。

そのことを信じた上で、

教育を施していくことが求められています。

 

傷付くことを恐れ、腫れ物を触るような

対応をするのではなく、

その子が輝ける場所をきちんと設ける、

そのほうが遥かに重要だと思います。

 

この文章を読み、あなたはどうお考えですか?

 

では、今回はこの辺で。

 

 

このブログを読んで下さる方々に

最大の敬意を込めて。

あなたの生徒が輝く授業を

最大限していきましょう。

ありがとうございました。