【書き順からくる伝統への想い、その心を忘れていませんか?】
どうも、野本です。
突然ですが、あなたは以下の言葉に対し、どのように返しますか?
「日本には平仮名や片仮名、おまけに漢字もあり、
難し過ぎて子どもがわけ分からなくなってしまう。
書き順などはどうでも良いのではないか?」
いかがでしょうか?
断っておきますが、この考え自体、
別に悪いものだとかそういうことを述べたいのではありません。
一つの意見として捉えることを大前提とします。
何より、子どもの書字に対してお悩みの方なら、
誰でもそう考えてしまうかも知れませんよね。
さて、どうでしょう?
あなたはこの言葉に対して、どのように感じましたか?
繰り返しますが、ぶっちゃけそう思うこともあるでしょうね。
書き順なんて面倒だし、字なんて書ければ良いですし。
しつこく言われる意味なんてあるの!?
確かに疑問です。
こういった疑問に対し、まずは私が当り前だと思うことを
述べておきます。
ある程度の書き順は大事です。何故なら、それが型になるからです。
毎回違う書き順で書いて、その漢字を覚えることが出来るでしょうか。
それだと脳の容量をかなり使うはずです。
書き順をある程度しっかりさせることは、字を書く効率化に
繋がっているわけです。
…と、一般論はさておき、その他にも独自に考えてみました。
そこで私が感じたのは、以下の2点です。
1つ目が、伝統を壊してしまう恐れがある点。
2つ目が、継承(教育)に関する視点。
どういうことか、見ていきましょう。
1つ目の、伝統を壊してしまう恐れがあるということですが、
漢字一つとっても、その漢字が生まれるに至った背景、
作った人間の心があるのだと私は考えました。
書き順とは、それらを大切にする行為なのではないでしょうか。
漢字を作った張本人は書き順など気にしていないかも知れませんが、
少なくとも、それらは伝統として受け継がれてきたわけです。
書き順を完全に無視するということは、
受け継がれてきた伝統を無視することに繋がります。
2つ目の継承に関する視点とは、
良くも悪くも、教育とは継承そのものであるということです。
書き順がどうでも良いということは、
それを継承しなくなるということを意味します。
個人的にこのことが問題だと思うのは、
大人になった子どもたちが将来、
自分の子どもに教えることが出来る内容が減るということです。
何でも教えることが良いわけでは決してありませんが、
何も教えることが出来ない大人。
これはこれで怖いものがあります。
むしろ、何でも良いといった価値観が、
現在の教育現場の混乱を招く理由の一つになっている、
そう考えられないでしょうか。
ですので、書き順の全てを正しく書くのは難しくても、
一応きちんと習うべきだし、習ったのなら可能な限りその通りに
やっておくべきなのです。
すべては伝統として継承されてきたものなのです。
一個人が私はこう思うと言って、軽視すべきものではないのだと思います。
教育は伝統の継承です。
もちろん、現代に合わないものもあるかも知れません。
しかし、伝統とは、良いものだから受け継がれてきたのです。
この日本という国は、2000年以上も続いています。
私たちはその延長線上に存在するのです。
ご先祖方が学び、私たちに受け継いだもの。
それを軽視するべきではないよな。
漢字の書き順に関することからそのようなことを感じ、
ブログ記事として投稿してみました。
伝統というと何だか漠然としたイメージがあるのですが、
それは日本が伝統を軽視しているからであって、
本来はとても大事なものです。
実際であればどの国も歴史や伝統を大事にしているわけですから、
私がそう考えてもおかしくはないでしょう。(きっと…。)
それと、繰り返しますが、書き順は覚えるためにも
絶対重要です。
何でもいい加減に書いていて、それを定着させる
のが難しいのは当り前です。
取り合えず、書き順として下から上に鉛筆が動くのは
明らかにおかしいので、
それは子どもたちに辞めてもらうよう言い続けます(笑)
ちなみに私は、「龍」や「鎌」の字の形を、
黒板に書いている時に生徒に違うと指摘され、
正しい形を教えてもらいました(笑)
この記事を読んで下さったあなたは、どうお考えですか?
では、今回はこの辺で。
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